皇子神命神社
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   【延喜式神名帳】皇子神命神社 大社皇子神 大和国 十市郡鎮座

   【現社名】皇子神命神社
   【住所】奈良県磯城郡田原本町大字多字三ノ宮ノ内 245
       北緯34度31分59秒,東経135度47分11秒
   【祭神】皇子神命
       皇子神命(ミコガミ)とは普通名詞であって、具体の神名ははっきりしない

   【祭祀】4月20日
   【社格】旧村社
   【由緒】不詳

   【関係氏族】多氏
   【鎮座地】移転の記録はなく多神社との関係から当初よりこの地に鎮座と思われる

   【祭祀対象】多神社の皇子神
   【祭祀】「若宮」「三の宮」「スメミコノミコト神社」と称される
   【社殿】本殿 小祠
       

   【境内社】

多坐弥志理都比古神社摂社。現在は仮の姿として多神社に合祀されている。
小杜神社の南、飛鳥川沿いの森が社叢である。
多神社の皇子神の一つ。
「多神宮注進状」は祭神を瓊々杵命の別称とする。


皇子神命神社

田原本歴史遺産 神々を訪ねて
旧城下郡 延喜式内社 多 皇子神命神社
旧村社 祭神 皇子神命
多座彌志理都比占神社の摂社で、「大和志」十市郡新廟の項に「皇子神命神社 在多社南西 今称若宮」と比定され、延長5年(927)成立の延喜式神名帳に記載された古社である。
神名帳十市郡大社の四皇子神の一「多皇子神命神社」とされ、俗に若宮と称す。
「五郡神社記」は本社二座と四皇子神を意富(おう)六所神社とし、皇子神命神社は姫皇子命神社と共に本社四殿の内の右殿に祀るとする。
多の歴史
弥生時代前期〜古墳時代 多遺跡
飛鳥時代 百済系渡来人多く住む(団栗山古墳)
       太子道が多集落の西側を通る
奈良時代 下ツ道が多集落の東側を通る
平安時代 中期 「和名抄」の十市郡飫富郷比定
  〃    〃  延喜式神名帳に4社記載
延久2年(1070)興福寺雑役免帳「太庄四町」
承和3年(1347)興福寺段銭段米帳に「多郷九町三反」
江戸時代〜明治22年 十市郡多村
明治22年〜昭和31年 磯城郡多村
平成21年度 田原本町観光協会

社頭掲示板



皇子神命神社

近鉄橿原線笠縫駅南西1.5kmの地に鎮座。多坐弥志理比古神社の摂社で、本社の西南にある。祭神は皇子神命、『大和志』に、「今称若宮」とあるが、『延喜式』神名帳に式内社として登載されている。江戸期の『大和志』に若宮と称すとあるのは多神社の若宮との意味であるが、式内社になった当時多の神の子神であったであろうと志賀剛の『式内社の研究』にある。古来多社の四皇子神の一社といわれている。。

奈良県史



皇子神命神社

皇子神は美古乃加美と訓べし○神號詳ならず〇多社西南に在す、今若宮と称す、(大和志、同名所図会)、

神社覈録



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