街中の神社、浄楽寺南の小社、社叢はごく浅い。 阪門神社は江戸時代、その所在が不明となつていた。 近世「春日神社」と呼ばれていたようで、祭神も春日神社のもの。 「式内社調査報告」には「社名の「坂門」には、坂のある処と、最も低い処の二つの意味がある(池田末則氏談)が、当社は平坦地に所在しており、どちらの意味も今日の地形からはあたらない。」と記している。 式内社「坂門神社」は、天香山坐櫛真命神社・畝尾坐健土安神社・畝尾都多本神社とともに、「天香山坐四処神社」と称した。 |
阪門神社 近鉄新ノ口駅の東1.6kmの中町集落西南に鎮座する。『大和志』に式内社として「在中村今称春日」とされて以来『延喜式』神名帳登載の十市郡坂門にあてられている。祭神武甕槌命。明治の明細帳では、春日四紳を祭神としているが、昭和27年(1952)6月27日の『宗教法人による届出書』には、武甕槌神一紳としているのでこれに従う。 『大和志』刊行の享保21年当時は春日神社と称し、寛政3年(1791)の『大和名所図絵』もこれにならって春日神社と称している。『五郡神社記』のように南浦の岩戸神社を当社にあてようとする異説もある。 例祭は10月10日。境内に二間四面の観音堂があり、像高50cmの十一面観音を安置する。余間の位牌に貞享2丑(1685)銘がある。明治以前は社僧が神社を管理し祭礼も行ったと、神仏習合の模様を伝え、神宮寺か鎮守の関係にあったことを思わせる。 奈良県史 |
坂門神社 鍬靱 坂門は佐加登と訓べし○祭神詳ならず○中村に在す、今春日と称す、(大和志、同名所図会)、 藤原吉從云、次なる子部神社をも思ひ合すべし、 神社覈録 |