石寸山口神社
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   【延喜式神名帳】石村山口神社(大 月次/新嘗)大和国 十市郡鎮座

   【現社名】石寸山口神社
   【住所】奈良県桜井市谷502
       北緯34度30分26秒,東経135度50分39秒
   【祭神】大山祇神
   【例祭】4月12日 例祭
   【社格】各山口神とともに馬一疋を加えられた他祈雨神祭にも預かつた
       大和の六の山口の神として崇敬が厚い
       旧村社

   【由緒】天平2年(730)石村山ロ神戸『大倭国大税帳』
       大同元年(806)石村神二戸『新抄格勅符抄』
       貞観元年(859)正五位下『三代実録』
       その後の沿革は不明

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとは池の南側に鎮座していたと伝える
        現在地への移転の時期は不詳

   【祭祀対象】大和の六の山口の神
   【祭祀】江戸時代は「双槻神社」と称していた
   【社殿】本殿春日造
       拝殿

   【境内社】

小さな池(薦池)の北岸に鎮座する。
この地は用明天皇の磐余双槻宮の地と考えられている。南の山(桜井小学校の地か)はコモ山というが、また磐余山とも称されている。
山口神社であれば山の入り口に鎮座している訳であるが、地形的にはやや無理があるように感じられる。
「和州五郡神社神名帳大略註解」によると当社は石寸川(現米川)の上流部にあって、多武峯の西方にあたる所とされているが、その位置は特定できない。
『大和志』は当社を式社としている。
もとは池の南側に鎮座していたと伝える。
このあたりは神武天皇と長髄彦(ながすねひこ)が決戦した故地でもある。



石寸山口神社

御祭神 大山祇神
  大山祇神は伊弉冉尊の生み給うた山の神にて、磐余の大地を守護せらる山の神・水の神として御祭祀になり、上古より朝野の崇敬厚く、中にも大和六山口神社の一社に数えられ、延喜式内の大社に列せられた
 近世以降、木材業界繁栄の守護神として、その崇敬を集めている

社頭石碑



山口(坐)神社

やまぐち(にます)じんじゃ 『延喜式神名帳』に大和国には夜支布・伊古麻・巨勢・鴨・当麻・大坂・吉野・石村・耳成・都祁の山口神社と長谷・忍坂・飛鳥・畝火の山口坐神社が見え、いずれも大社で祈年・月次・新嘗の官幣に預かり、また山城国には賀茂山口神社がみえる。四社のみ坐神社となっているのを、乾健治は地名を示すためか皇居に近いことを意味しているかであろうという。『延喜式四時祭』には、甘樫・飛鳥・石村・忍坂・長谷・吉野・巨勢・賀茂・当麻・大坂・膽駒・都祁・養生などの山口には各馬一匹を加えよとあり『延喜式神名帳』にない甘樫の名がみえる。『延書式祝詞』の祈年祭・月次祭に「山口に坐す皇神等の前に白さく、飛鳥・石村・忍坂・長谷・畝火・耳無と御名をば白して……皇御孫の命の瑞の御舎を仕え奉りて……四方の国を安国と平らけく知ろし食すが故に、皇御孫の命のうづの幣帛を称へ辞竟へ奉らくと宣ふ」とあり、広瀬大忌祭に「倭国の六御県の山口に坐す皇神等の前にも、皇御孫の命のうづの幣帛を……奉る。かく奉らば、皇神等の敷き坐す山々の口より、さくなだりに下し賜う水を……」とある。『延喜式臨時祭』の祈雨神祭に巨勢・賀茂・当麻・大坂・膽駒・石村・耳成。養生・都祁・長谷・忍坂・飛鳥・献火・古野の山口神社が預かっている。これらのことより、宮殿造営のため御料林伐採の際、山口に坐す神を祀ったこと、山口の水を司る神として、また祈雨神として奉祀されたことがわかる。神階は『三代実録』貞観元年(859)に『神名帳』にみえる14社の山口神社中、夜支布山口神に正五位上、その他13社の山口神に正五位下の昇叙がみえる。
▼石寸山口神社 奈良県桜井市大字谷。旧村社。大山祇神を祀る。『大和志』には「長門邑二在リ。邑ハ桜井阿部ノ二村ニ属シ今双槻神社卜称ス」とある。桜井市大字高田鎮座の山口神社を式内社とする説もある。
例祭4月12日。

神社辞典



石寸山口神社 大月次新嘗

石寸は伊波礼、」山口は夜麻久知と訓べし、○祭神山神大山祇命○長門村に在す、今双槻神社と称す、(大和志)○式一(四時祭上)祈年祭條に、石根山口加馬一匹、」同三、(臨時祭)祈雨祭神八十五座(並大)云々、石根山口社一座、○当国十三処山口の一座也、事は飛鳥山口社の下に詳也、
連胤云(欠文)
類社
山城國愛宕郡賀茂山口神社の下見合すべし
神位
三代實録、貞観元年、正月27日甲申、奉授大和國從五位下石寸山口神正五位下、
官幣
三代実録、貞観元年9月8日庚申、大和国石村山口神、遣使奉幣、為風雨祈焉、

神社覈録



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