天満神社
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   【延喜式神名帳】目原坐高御魂神社 二座(並大 月次/新嘗)大和国 十市郡鎮座

   【現社名】天満神社
   【住所】奈良県橿原市太田市町225
       北緯34度31分59秒,東経135度49分3秒
   【祭神】高御魂神 神産日神 菅原道眞 (合祀)子安大神
       『神祇宝典』『神名帳考証』『大日本史』『神社覈録』高御魂神
       『大日本史』一座不詳
       『多神宮注進状草案』天神高御産巣日尊・拷幡千々媛命
       『神祇志料』高皇産霊尊・拷幡千々媛命

       一座は、ゥ資料とも社名に記す高御魂命として異論はない
       残る一座については、@栲幡千々媛命 A日神 の2説がある

   【例祭】10月10日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】成務天皇5年に神託により創建された
       天平2年(760)目原神戸『大和国大税帳』
       大同元年(806)神封『新抄格勅符抄』
       貞観元年(859)正月従五位上『三代実録』
       その後のことは不明であり、江戸時代にはその所在地すら不明

   【関係氏族】肥直 多氏の同族
   【鎮座地】公民館及び製材所となつている社地の東の地を真目原という
        もと禁足地であり、この地に鎮座していたと思われる
        もと高さ一丈根廻り一七間の丘が存在しており、
        これは本社及び小安明神の故地であり、社殿を有したかどうかは別として
        祭祀遺跡又は古墳であつたことは疑いない。

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「小安明神」と称していた
   【社殿】本殿春日造
       拝殿・会所

   【境内社】子安明神・稻荷神社

神社の前で南北から東西へ曲流する小川を俗に目原川と称し、今は公民館及び製材所となつている社地の東の地を真目原として禁足地といわれ、その処に入ると足にマメができるという伝承があった。
本社は、江戸時代、その所在不明となっておりいくつかの論社がある。
この地は、もと小安明神が祀られていたところであり、子安明神は、高御魂神からきた信仰と考えられ、この地を式内社と考えてよいと思われる。
『大和志』・『神祇志料』・『磯城郡誌』・『式内社の研究』は当社を目原坐高御魂神社とする。
禁足地とされていた真目原にあった式内目原社を現在地に遷し、加えて天満天神社を勧請したものと思われる。
道路を挟んだ東側に「太田市町公民館」があり、真目原の地であろう。


目原坐高御魂神社二座 並大月次新嘗

目原は女波良、高御魂は多加美武須毘と訓べし、○祭神明か也○在所詳ならず
大和志に、或曰太田市村天神社即此、
類社
山城國乙訓郡羽束師坐高御産日神社の下見合すべし
神位
三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和國從五位下目原高御魂神從五位上、

神社覈録



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