気吹雷響雷吉野大国栖御魂神社
廃絶し現在不詳 所在地ボタン 社名ボタン





   【延喜式神名帳】気吹雷響雷吉野大国栖御魂神社 二座(並名神大 月次/新嘗)大和国 高市郡鎮座

   【現社名】廃絶
   【住所】−−−
              
   【祭神】社名の如く雷神を祭つたものか
   【例祭】−−−
   【由緒】貞観元年(859)7月5日従五位下『三代実録』


新訂国史大系本では吉野以下の七字は恐らく注の文が入つて本文となつたのであろうとする。創立その他は未詳。廃絶したものと考えられる。祭祀を継承した神社も不詳。
『五郡神社記』は波多郷稲淵山山上にあったとする。
『大和志』は雷土村(明日香村の大字雷)の八王子社(現在廃)とする。
「奈良県史」は雷丘の北にあった八王子社(九頭明神)に比定。現在は廃社。


氣吹雷響雷吉野大國栖御魂神社二座 並名神大月次新嘗

氣吹雷は伊布岐伊加都知、響雷は奈留伊加都知、吉野大國栖御魂は與志乃能於保久須美多麻と訓べし〇祭神詳ならず〇雷土村に在す、今八王子と称す、(大和志)〇式三、(臨時祭)名神祭二百八十五座、大和國氣吹雷神社二座、○日本紀、神武天皇戊午年、天皇欲省吉野之地、至吉野時、有人出自井中、光而有尾、天皇問之曰、汝何人、対曰、臣是國神、名為井光、此則吉野首部始祖也、更少進、亦有尾而披盤石而出者、天皇問之曰、汝何人、対曰、臣是磐排別之子、此則古野國栖部始祖也、」同紀、天武天皇12年10月乙卯朔己未、吉野首、賜姓曰連、」姓氏録、(大和国神別)吉野連、加彌比加尼之後也、諡神武天皇、行幸吉野、到神瀬、遣人汲水、使者還曰有井光女、天皇召問之汝誰人、答曰臣是自天降來、白雲別神之女也、名曰豊御冨、天皐即名水光姫、今吉野連所祭、水光神是也、」また國栖、出自石穂押別神也、神武天皇行幸吉野時、川上有遊人、于時天皇御覧、即入穴、須奥又出遊、籟窺之喚問、答曰石穂押別神子也、爾時詔賜国栖名、然後孝徳天皇御世、始賜名人、國栖意世古、次號世古二人、允恭天皇御世、乙未年中、七節進御贄仕奉、神態至今不絶、
官社
三代実録、貞観元年7月5日戊午、大和國從五位下氣吹雷神、從五位下響雷神、並列官社、

神社覈録



大和国INDEXへ        TOPページへ


学校一覧 学校一覧 高精度の学校住所録