飛鳥駅の南東にあり。土地では“五郎ノ宮”と称している。 巨勢小柄宿禰の霊を祀り、巨勢氏の祖武内宿禰の第五子にあたるので五郎社とも称するとあるが、小柄宿禰は第二子であり(古事記)、五郎はおそらく御霊の転訛と思われる。後世の御霊信仰の影響であろう。人首蛇身の像を神体とするとあるが、この像は弁天であろう。 |
許世都比古命神社 近鉄南大阪線飛鳥駅から約500m越の丘の南、真弓との境に鎮座する。『延喜式』神名帳登載の式内社に比定される。祭神は許世都比古命 で、巨勢氏の租武内宿禰の第五子だから『五郎紳』とも俗称する。巨勢地方の産土神で、巨勢氏の租神でもある。巨勢氏の一族が後世その本拠の巨勢郷から檜前方面に勢力を伸ばして越に新しくその租神の分霊をまつったとも考えられる。享和年間此の地の服部氏(高取藩医)が人首蛇身の造形を奉納,弁才天の神体としたと伝える。 奈良県史 |
【由緒】 太古武内宿禰は景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五朝に仕へ、功労群に秀でて大臣を命ぜられ、その子息七人は何れも世に顯れた。このうち雄柄・石川・木菟・角・襲津彦の五人がすぐれ、雄柄は本宗の巨勢家、石川は蘇我氏、木菟は平群氏、角は紀氏、襲津彦は葛城氏を起したので、許世津比古命神社は同族同氏の祖神をこゝに奉祀し、これを俗称して五郎宮と呼んだものであらう。奈良・平安時代には郡内に巨勢庄がおかれてゐるのも、當氏族と何等かの関連を有するものかと思はれる。 式内社調査報告 |
許世都比古命神社 許世都比古は假字也○祭神明か也○越村に在す、今五老神と称す、(大和志、同名所図会)、〇古事記(孝元段)建内宿禰之子、許勢小柄宿禰者、許勢臣之祖也、」姓氏録、(左京皇別上)巨勢朝臣、石川同氏、巨勢雄柄宿禰之後也、また巨勢槻田朝臣、雄柄宿禰四世孫稻茂臣之後也、男荒人、天豊財重日足姫天皇(諡皇極)御世、遣佃葛城長田、其地野上、漑水難至、荒人能解機術、始造長■、川水漑田、天皇大悦、賜槻臣姓也、また巨勢斐太臣、巨勢槻田同氏、巨勢雄柄四世孫稻茂男荒人之後也、」同、(大和国皇別)巨勢槻田臣、池後臣同祖、武内宿禰之後也、 神社覈録 |