波多神社
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   【延喜式神名帳】波多神社 鍬靫 大和国 高市郡鎮座

   【現社名】波多神社
   【住所】奈良県高市郡明日香村冬野152
       北緯34度27分25秒,東経135度51分31秒
   【祭神】事代主命
       奈良県神社明細帳は祭神不詳
       『神祇志』『特選神名牒』波多祝の祖神たる高皇産霊神
       『神祇宝典』『五郡神社記』波多臣の祖、八多八代宿禰
       度会延経『神名帳考証』祭神埴安命

   【例祭】9月14日 例祭
   【社格】
   【由緒】志路木藥を新羅國鎭明之傳法、波多神社所傳『大同類聚方』
       中世以降には多武峯の支配下に属した

   【関係氏族】波多氏
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】波多氏の祖神
   【祭祀】江戸時代は「気多祠」「北大明神」と称していた
   【社殿】本殿春日造屋根板葺
       正門

   【境内社】

冬野集落の一番上。談山神社南方にある主峰の山頂の神社。小社。
『大同類聚方』に、志路木薬を新羅国鎮明之伝法、大和国高市郡波多神社所伝として記している。七世紀前半に当社付近で薬草が採集され、それが当社所伝の志路木薬(新羅薬か)として伝えられた。
中世以降には多武峯の支配下に属し、その坤の方位に当ることから、その裏鬼門鎮祭の神として遇せられたと云う伝承がある。冬野城の鎮護社として祭られ、それが今日まで伝えられたとも考えられる。


波多神社 鍬靭

波多は假字也、和名鈔、(郷名部)波多、〇祭神詳ならず○冬野村に在す、今気多祠と称す、(大和志)
姓氏録、(大和国諸蕃)波多造、百濟國人佐布利智使主之後也」同、(未定雑姓大和國)波多祝、高彌牟須比命孫治身之後者、
類社
和泉國和泉郡、伊勢國一志郡波多神社、(各一座)和泉國日根郡波太神社、同國和泉郡博多神社、

神社覈録



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