冬野集落の一番上。談山神社南方にある主峰の山頂の神社。小社。 『大同類聚方』に、志路木薬を新羅国鎮明之伝法、大和国高市郡波多神社所伝として記している。七世紀前半に当社付近で薬草が採集され、それが当社所伝の志路木薬(新羅薬か)として伝えられた。 中世以降には多武峯の支配下に属し、その坤の方位に当ることから、その裏鬼門鎮祭の神として遇せられたと云う伝承がある。冬野城の鎮護社として祭られ、それが今日まで伝えられたとも考えられる。 |
波多神社 鍬靭 波多は假字也、和名鈔、(郷名部)波多、〇祭神詳ならず○冬野村に在す、今気多祠と称す、(大和志) 姓氏録、(大和国諸蕃)波多造、百濟國人佐布利智使主之後也」同、(未定雑姓大和國)波多祝、高彌牟須比命孫治身之後者、 類社 和泉國和泉郡、伊勢國一志郡波多神社、(各一座)和泉國日根郡波太神社、同國和泉郡博多神社、 神社覈録 |