気都和既神社
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   【延喜式神名帳】気都和既神社 大和国 高市郡鎮座

   【現社名】気都和既神社
   【住所】奈良県高市郡明日香村上172
       北緯34度27分45秒,東経135度50分51秒
   【祭神】気都倭既命
   【例祭】10月11日 例祭
   【社格】
   【由緒】詳細は判明しない
       安政元年(1854)造営「牛頭天王」

   【関係氏族】真神田宿禰
   【鎮座地】もうこんの森の名称は古く、この地が当初鎮座の地か

   【祭祀対象】真神田宿禰の祖神
   【祭祀】江戸時代は「牛頭天王」と称していた
   【社殿】本殿春日造桧皮葺
       拝殿・社務所

   【境内社】春日神社

俗に「もうこんの森」の社名で通つている。藤原鎌足が蘇我入鹿を誅したとき、入鹿の首が鎌足を目懸けて追いかけたので、鎌足は飛鳥板蓋宮より逃げて当地に到り「もう追いかけては来まい」と云つたので、この名が付いたという。
上集落の奥山中谷間に鎮座する。水音の高い神社である。
社殿の後方は小さな丘となっている。あるいはこの丘を神体とする山岳信仰の形態をなしていたのが、前方に社殿を建築したのかとも考えられる。


気都和既神社ともうこの森

KITSUWAKI Shrine & MOKO Grore
 境内は「もうこの森」と呼ばれており、この気都和既神社には、気津別命と尾曽・細川両大字の神社にそれぞれ祀られていた天津児屋根命を合祀した三座を祀る。
 その名のおこりは、645年の大化改新で中臣鎌足(藤原鎌足)が飛鳥板蓋宮で暗殺した蘇我入鹿の首に追われて、ここまで逃げ込み「もう来ぬだろう」といったことに由来すると伝えられている。鎌足が腰をかけたと伝えられる石も残る。

社頭掲示板



気都和既神社

石舞台古墳の傍から東方へ冬野川北岸を約2Kmさかのぼった左岸に鎮座する。『大和志』に「在上村茂古ノ杜 傍ニ有瀑布高二丈許与細川・土井・尾曽共預祭祀」とある。祭神 気都別命は『姓氏禄』の左京紳別上に「真神田曽禰連、神饒速日命六世孫伊香我色乎命男気都別命之後也」とあることから、真神田宿禰の租神である。モッコの森については、藤原鎌足が蘇我入鹿を滅した時入鹿の首が鎌足を追いかけてきたので、鎌足が飛鳥板葺宮から逃げて当地にきて『もう追ってはこまい』といったのでこの名があるとの伝である。『延喜式』神名帳登載の式内社である。
 創建年代不明。例祭は10月11日。

奈良県史



氣都和既神社

氣都和既は假字也○祭神明か也○上村茂古杜に在す、(大和志、同名所図会)、○日本紀舒明天皇巻に、大臣将殺境部臣、而興兵遣之、境部臣聞軍至、率仲子阿椰出干門、坐胡床而待、乃令來目物部伊区比以絞之、父子共死、乃埋同処、唯兄子毛津逃匿子尼寺瓦舎、即奸一二尼、於是、一尼嫉妬令頒、囲寺将捕、乃出之入畝傍山、因以探山、毛津走無所入、剣頸而死山中、時人歌曰、于泥備椰摩、虚多智于須家苦、多能彌介茂、氣菟能和区呉能、虚茂逓勢利祁牟、
○姓氏録(左京神別上)眞神田曾禰連、神饒速日命六世孫伊香我色乎命男氣津別命之後也、

神社覈録





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