「子嶋寺が760年に子嶋神祠のほとりに建てられた」とする記述が複数の書に見え、その「子嶋神祠」が当社と考えられている。 当社を高市郡「呉津孫神社」とする説がある。 |
小島神社 ◆小島神社の創建は、天平宝宇以前の頃よりと伝えられ{倭漢三才図会)、明治になり橿原神宮に次ぐ社格をもつ郷社として、その郷中は旧高市郡(現在の高取町、明日香村、橿原市の一部)に及び近郷の崇神を集めた由緒ある神社である。参道には江戸時代の有力武家の石燈籠等がならび境内は蒼然とした根上がりの古木などに覆われる。社殿は廃藩置県により、明治7年に建てかえられている。 ◆絵馬収蔵庫は平成7年に完成し、奈良県指定風俗文化財として小島神社に伝わる絵馬三面の修復が完成し収蔵保存されている。絵馬は、江戸時代に奈良県下全般で催された雨乞い祈願の「なもで踊り」の状況を微細に再現されて描かれた県下唯一の貴重な文化財資料である。 社頭掲示板 |
県指定有形民俗文化財 ナモデ踊り絵馬 三面(昭和57年3月指定) 雨乞祈願や、その願いがかなったときに、かつては県下で広く太鼓踊りが踊られ、「ナモデ踊り」「イサミ踊り」と呼ばれていた。小島神社に伝わる大型絵馬三面は、この太鼓踊りの江戸期の形態を三期にわたり描き伝えている。 享保8年(1723)銘の絵馬は、既に剃落が著しい。宝暦2年(1752)銘の絵馬は高取藩主植村家道により奉納されたもので、踊りの一団が隊列を整えて神社境内に練り込むさまを活き活きと描く。文政4年(1821)銘の絵馬は、神社境内での願満の踊りのようすを描いている。これらの状況は高取藩士吉川覚兵衛の記した「大和国高取領風俗問状答」のうちの「南無手踊」の記述ともよく符合する。 小島神社に伝わる絵馬は、大和の代表的な民俗芸能として各地で親しまれてきた太鼓踊りのかつての形態を示す基準的な芸能資料として価値が高い。 平成7年8月 奈良県教育委員会 高取町教育委員会 小島神社 社頭掲示板 |
卿社 小嶋神社 祭神 天押雲根命 天児屋根命 武甕槌命 経津主命 比咋大神 本社創立年代詳ならす、陽成天皇元慶5年11月14日正六位上より從五位下を授くと見え(三代実録)延喜式所載の古祠たること明なり、俗に春日明神と称し、本町並に土佐村の氏神たり(大和志、大和名所図絵)元亭釈書に「報恩、天平宝字4年、於和州高市郡子島神祠畔、建伽藍云々とあり、明治6年4月郷社に列す。 社殿は本殿、拝殿等あり、境内728坪(官有地第一種)、高取山に接する丘陵に位し、森々たる蒼樹實に千古の神境にして、前には下小島の平地あり、後には高取の連山を負ひ、神代の昔を忍ばしむ。 小嶋寺縁起に小嶋神社を呉津孫神と注してあるとみえ、当社を「延喜式」神名帳にみえる高市郡「呉津孫神社」とし、牟佐村主の祖呉孫権男高の霊を祀ったものと記す。[大和志」 明治神社誌料 |