天高市神社
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   【延喜式神名帳】天高市神社(大 月次/新嘗)大和国 高市郡鎮座

   【現社名】天高市神社
   【住所】奈良県橿原市曽我町659
       北緯34度30分47秒,東経135度46分30秒
   【祭神】事代主命 (配祀)品陀別命 息長帶姫命 比売神
   【例祭】9月15日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創設の沿革については不明
       貞観元年(859)正月27日従五位上『三代実録』
       中世から江戸期かけては八幡社と称していた
       明治40年(1907)9月村社

   【関係氏族】高市縣主
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八幡宮」と称す
   【公式HP】 天高市神社
   【社殿】本殿白木の流造桧皮葺
       拝殿

   【境内社】高良神社・秋葉神社・八阪神社・菅原神社・稲荷神社

曽我川の東岸近く。街中の平地に鎮座。
中世から江戸期かけては八幡社と称していた。
本神社の境内地は、古くは一町歩余と伝えられ、南半分は水田となつていが、北東部に大きな溝があつて清水が湧き出ていたと伝わっている。
祭神について『高市郡神社誌』は
@素盞鳴命を祀り來りしが、神功皇后三韓御征伐に比売神大に神助を副へられたるを以て、品陀別尊、息長帯姫命 比売神の三柱を合祀して四柱となせるものか。
A素盞鳴命に代へて御孫なる事代主命を祀り、何れも八幡宮として尊崇し來れるに、何時の頃よりか祭神一柱と誤り誌されたか。 の2説を挙げている。


由緒沿革

本神社の由緒沿革については、詳かではないが、『三代実録』によれば、第56代清和天皇の御代、貞観元年(859年)正月27日に、大和国天高市神に従五位上の神階を授け奉る(「奉授大和國天高市神從五位上」)との記事がある。又、延喜の制により名神大社に列せられ、月次・新嘗の官幣に預っており、古くより朝野の信仰も篤く格式の高い神社であった。
しかし星霜うつり、中世から江戸期の頃に至って本神社は、八幡社と称したもののようである。現在の境内に、安永6年(1777年)当村中より奉納の石燈篭に八幡宮と銘したものが二基ある。
明治40年9月告示により指定村社となる。
祭神は、事代主命(えびす様)一柱を祭祀してきたが、後世になり品陀別命(応神天皇)・息長帯姫(神功皇后)・比売神の八幡三柱を合祀して四柱とし、尊崇してきたもののようである。
なお、本神社の境内地は、古くは一町歩余と伝えられるが、明治初年には、一千余坪で第一種官有地となった。さらに、終戦後、宗教法人法の制定により上記官有地は昭和25年6月に宗教法人天高市神社に対し無償譲与となり現在に至る。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




天高市神社

近鉄真菅駅下車、南東約900メートル、曽我の集落西の森に鎮座する。昭和27年(1953)の『宗教法人法による届出書』に祭神事代主命とあるが、現在の御神体として四対の御紳像を奉安している。『高市郡神社誌』には「二説あり、一は往古より素戔嗚命を祀り来りしが、神宮皇后三韓征伐に比売神大に神助を副へられたるを以て其の御神徳を仰がんとして、品陀別命・息長帯姫・比売神の三柱を合祀して四柱となせるものか。二は素戔嗚命に代えて御孫なる事代主命を祀り、何れも八幡宮として尊崇し来れるに、何時のころよりか、祭神一柱と誤り誌されしものならん歟」といっている。『延喜式』神名帳登載の式内大社に比定され、月次、新嘗祭に案上官幣に預かった社である上、『三代実録』には貞観元年(859)正月27日の条に従五位上の神階奉授とあるから、創祀はそれ以前であることになる。『大和志』に「今称高市八幡 相伝天照大神入夫石窟閉磐戸而山居時八十万神会合天高市議可梼之方即此」とあり「天高市」にあてる。
例祭は10月18日。座講は町座・高良座・天高市座・新天高市座があり、座祭は10月11日と12日である。11日に分霊を御輿に奉じて当屋の床の間に奉安、祭典前日の17日まで七日間給仕する

奈良県史



天高市神社

ご由緒
当社は、『三大実録』によりますと第56代清和天皇の御代、貞観元年(859年)正月27日に大和国天高市神に従五位上の神階を授け奉る。(「奉レ授二大和国天高市神五位上一」)との記事があります。
また、延喜の制により延喜式内大社に列せられ、月次・新嘗の官幣に預かっており古くより朝野の信仰も篤く格式の高い神社であり、天の岩戸に天照大神がお隠れになった際、八十萬の神々が天高市の地にお集まりになり、岩戸を開き天照大神がもとの生業にお戻りいただくよう相談された伝承の地でもあります。
しかし、星霜うつり、中世から江戸期頃に至って本神社は、曽我八幡宮とも称されました。
現在の境内に、安永6年(1777年)当村中より奉納の石燈籠に八幡宮と銘記されたものが二基あります。
明治40年9月告示により指定村社となりました。
御祭神は、事代主命(えびす様)一柱を祭祀してきましたが、諸説ありますが後世になり品陀別命【応神天皇】・息長帯姫【神功皇后】・比売神の 八幡大神を合祀して、四柱として尊崇されてきました。
◎御神徳
天高市神社の御祭神は事代主命と八幡大神です。
事代主命は、国譲りの神話で釣りをしていたことから、大鯛をかかえ釣り竿をもっている七福神のえびす様と同一神とされます。いつも笑顔で人々に多き幸を与えてくださる尊い神様であります。
八幡大神は、武神と称えられ大変お力の強い神様であり、厄災除・必勝の神様と伝わっております。
この神々のお力が相重なることによりあらゆる厄災を祓い退け、幸福を導く神様として古くより崇敬があります。

公式HP



天高市神社 大月次新嘗

天高市は阿女乃多介知と訓べし○祭神高市縣主祖歟○曾我村曾我社南に在す、今高市八幡宮と称す、(大和志、同名所図会)〇日本紀神代巻上、一書曰、會八十萬神於天高市、」古事記、(神代段)天津日子根命者、高市縣主祖也、
神位
三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和国從五位下天高市神從五位上、

神社覈録



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