寺川沿いの小社。集落すみ。境内にはいると右手に鏡池がある。 田原本町は西の曽我川、東の大和川、間に飛鳥川と寺川、古代は湿地に所々島と言った風景だっただろうと思わせる。今も田畑が多く環濠、用水路が縦横に走っている。 創紀の年代も詳らかでない。由緒を明確にする資料もない。 |
富都神社 旧城下郡 富本 延喜式内社 富都神社 旧村社 祭神 登美屋彦命 「大和志」城下郡新廟の項に「富都ノ神社 鍬靫 在富本」と比定され、延長5年(927)成立の延喜式神名帳に記載された古社である。 「軍鑑」には「牛頭天王」社地252坪、神主なし、供田120坪」と記載され、明治の廃仏分離までは、「牛頭天王社」と云われ境内に「牛頭天皇」の石灯籠がある。 富都神社・本殿 建物について 一間社、春日造 銅板葺、千木・勝男木付の社で南面する。基壇上に建ち、土台を配し、向拝、柱方柱、身舎とは海老虹梁で繋ぐ。軒廻り一間垂木、三面に縁を設け、脇障子付、跳高欄・木階5級、登高欄付で、正面中央には、格子戸両開きの建具を用い、他面は板壁となる。 富都神社・石造物について 境内の石造物は、奈良県立橿原考古学研究所奥田尚共同研究員と田原本史談会・吉井輝夫会員共著「「遙拝所」の調査平成15年」記載より。 石灯篭 貞享3年(1686)「奉寄進御神前 和州城下区富本村 氏子中」「貞享3年丁卯年」「9月吉日」 石灯篭 明和6年(1769)「牛頭天皇」「明和6己丑年9月吉日」 石灯篭 天明4年(1784)「大神宮」「天明4歳辰年9月吉日」 狛犬 天保12年(1841)「奉献」「当村氏子中」「願主 □庄村庄兵衛 天月村 庄吉」「天保12卯□□年吉日」 田原本町観光協会 社頭掲示板 |
富都神社 旧都村大字富本集落の東端に鎮座する『延喜式』神名帳登載の式内社に比定されているが(「大和志」)、富都をほつと読んで大字保津に充てる説もある。 祭神の富都大神は、『古事記』の伊邪那岐神が伽具土神を切り給わった時、御剣の本についた血が湯津石村にほど走り就いて成りませる神で、中つ国平定にあたって天照大神の命で天鳥船神と共に出雲の伊那佐の小浜に着き、十握剣を抜いて大国主命と談判された勇敢な神である。創建の年代は明らかでない。例祭は10月20日。 奈良県史 |
富都神社 鍬靱 富都は假字也〇祭神フツ霊歟〇富木村に在す、(大和志、同名所図会) 神社覈録 |