島根山古墳の西側に接し、久波御魂神、アマハチチ姫を祭神とする神社。本殿の右には、大国主神社と子守神社の境内社、左には蛭子神社と春日神社の社殿がならび、さらに春日神社の西には、校倉づくりの宝庫がある。 天八千千姫桑葉を天の香久山に植えて、蚕を飼ひ絹を織り御衣に供えた、このため古来桑葉をご神体としていた。 境内の西側に箕輪寺(廃寺・神宮寺)があったが、寺も傷みが激しく、1999年に取り壊された。 |
比売久波神社 比売久波神社(ひめくわ)磯城郡川西町大字唐院の字教塚に鎭座する。式内社で、祭神は久波御魂神と天八千千姫(あまはちちひめ)の二柱である。延喜式神名帳に「比売久波神社鍬靱」とある。古來、桑葉をもつてご神体としたので、姫桑という。糸井神社に縁故を有するもののやうである。東側には島根山古墳があり、西側には箕輪寺(廃寺)がある。境内社に大國主神社・子守神社・蛭子神社・春日神社がある。 『大和の古社』(乾健治著) |
比売久波神社 この神社の久波御魂神は、アマハチ姫を祭神としています。本殿は春日大社摂社若宮神社本殿を移建したものと伝えられており、装飾の少ない簡素なもので形式・手法は春日大社本殿と一致しており江戸時代初期とされています。本殿の右には、大国神社の境内社があります、左には、蛭子神社と春日神社の社殿が並び、さらに春日神社の西には校倉造りの宝庫があり興味を引きます、本殿は、奈良県指定文化財となっております。 1993(平成5)年4月川西町教育委員会 社頭掲示板 |
島の山古墳 島の山古墳は奈良盆地中央の平坦部、寺川と飛鳥川の間の沖積微高地上に営まれた、南東部に前方部を向ける三段築成の前方後円墳です。前方部は後円部に比べて低いが、その幅は後円部径近くまで広がっています。周囲に全長約270m、前方部前面の幅約180mの楯形の周濠を巡らせています。 墳丘上には円筒埴輪、葺き石が存在します。埋葬施設は不明ですが大型の碧玉製車輪石や鍬形石が出土しており、他に鏡片、垂下式耳飾、石製刀子、玉類の出土が伝えられています。 墳形、周濠、出土遺物などからみて5世紀前半の築造と考えられます。 この古墳の南方には、黒田大塚古墳を南限として、全長50m前後の前方後円墳数基を含むいくつかの古墳が存在します。この島の山古墳はこの式下古墳群の中心的存在として注目されるものです。 社頭掲示板 |
本殿 本殿(県指定文化財) 一間社切妻造りの妻入りの身舎に庇をつけたもの、桧皮葺、春日大社摂社若宮神社本 殿を移建したものと伝えるが、細部の形式手法は、春日大社本社本殿と一致し、その 旧社殿であることは明らかです。 川西町HP |
比売久波神社 旧村社。祭神は久波御魂神・天八千千姫命。「延喜式」神名帳の城下郡「比売久波神社(鍬靫)」に比定される。社名は蚕桑(ひめくわ)を意味し、桑葉を神体としたと伝え、川西町結崎の糸井神社と関連する神社とも考えられる。もとは子守社と称したというが(大和志)、子守社は現在境内末社となっている。応仁元年(1467)の式年遷宮の際、第二殿が正預拝領のうえ、二五貫文で唐院へ売却されている(春日大社文書)。一間社春日造の現本殿(県指定文化財)も春日大社の旧社殿で、江戸初期のものと推定される。享保4年(1719)の棟札が残り、箕輪寺の僧と思われる阿闍梨宏賢の名がみえる。箕輪寺は神社西側にあり、当社の祭事に関与していたことから、神宮寺であったとみられる。真言宗豊山派で本尊十一面観音。寺伝によると永享2年(1430)の筒井・箸尾両氏の合戦で焼け、同八年実順の再建という。本尊は定朝作で鳥羽天皇が帰依したものと伝え、彩色の地蔵菩薩半跏像は付近にあった得楽寺の旧仏という。 寺院神社大辞典 |
比売久波神社 比売久波は假字也○祭神詳ならず〇唐院村に在す、今子守社と称す、(大和志、同名所図会)、 考証云、檜牧村此乎、〇神名秘書云、天八千々姫殖桑薬於天香山、以所蚕之御糸織供御衣、 神社覈録 |