千代神社
ちしろじんじゃ
八阪神社 に合祀
所在地 社名















   【延喜式神名帳】千代神社 大和国 城下郡鎮座

   【現社名】八阪神社
   【住所】奈良県磯城郡田原本町阪手303
       北緯34度33分24秒,東経135度47分54秒
   【祭神】(八阪神社)須佐男命 (合祀)八千千姫命
   【例祭】(八阪神社)10月11日 例祭
   【社格】
   【由緒】

   【関係氏族】
   【鎮座地】元八条村にあった
        初瀬川の洪水の為、社殿流失、川下の大安寺村字西馬場の森市神社境内に漂看
        明治42年(1909)阪手村の八阪神社に合祀

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】
       

   【境内社】

天長の頃、式内社の千代神社は、初瀬川の洪水によって社殿が流出し、川下の森市神社に漂着。以後、大安寺村にある森市神社で、元社のあった八条村が奉幣をなし、社殿の以上維持には阪手村が行うという3村共同管理が行われていたが、明治になり、それぞれの村に千代神社を祀るようになった。ここ阪手村には、明治42年(1909)、阪手村の八坂神社に合祀された。


千代神社

田原本町史遺産 神々を訪ねて
旧村社 阪手北 八坂神社 祭神 須佐男命
勧進年代、由緒は明らかでないが、江戸時代には牛天王社と云われたが、明治22年(1859)に現在の八阪神社と改められた。それまでは、神宮寺・西之坊と称し、釈迦堂三間四方・本尊釈迦如来像)、薬師堂(丈間四方・本尊薬師如来像)があつたが.明治7年(1874)に廃寺となり、釈迦堂の本尊釈迦如来像は、現在.八阪神社北隣の阿弥陀寺に遷されている。
牛王天王の名残は、八阪神社の境内で、毎年2月に行われる伝統祭礼行事「華鎮祭」で北阪手の各戸に配られる「牛王さん」の「牛の玉西坊法印」と版木で刷られた和紙と「華鎮祭」で読み上げられる「結鎮祭文(寛政5年・1793)に残されている。
旧城下郡阪手北 延喜式内千代神社 祭神八千々姫命
天長年間(824−33)千代神社は、元八条村にあったが、初瀬川の洪水の為、社殿流失、川下の大安寺村字西馬場の森市神社境内に漂看したので以来、森市神社境内で祭祀され、社地は大安寺村、毎年例祭に元社地の八条村より奉幣をなし、社殿の維持は阪手村が行ってきた。
延長5年(927)千代神社は延喜式神名帳に記載された古社である。
享保21年(1736)「大和志」に「干代神社在八条村 今称八幡与祭安部田村共預祭祀式ニ載テ在城下正保3年以此地隷本郡」とあって、式内千代神社に比定された。 明治42年(1909)それまで社殿の維持を行ってきた阪手村の八阪神社に合祀された。
平成21年 田原本町観光協会

社頭掲示板






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