大安寺池横に鎮座する。 天長年中(824-833)洪水のため流失して当地に漂着する。 本殿として、二つの祠があるが左の小さい方が千代神社。 |
森市神社 壬申の乱に功のあった生雷神を祀る。もとはこの地より西,カキノモリというところにあり郷社村屋神が例祭に渡御されるところであった。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
千代神社 A=春日神社境内末社の千代神社 B=森市神社境内末社の千代神社 Aは近鉄笠縫駅より東0.5km字千代の春日神社境内社として、Bは同笠縫駅の東1.5kmの字大安寺の森市神社の境内社として鎮座する。A・B説共に祭神八千千姫命。『大和志』には「在八条村 今称八幡 与安部・田村 預祭祀 式載在城下郡 正保三年以此地隷本郡」とあって『延喜式』神名帳登載の式内社で八条村に鎮座したといっている。 A説について『神社明細帳』に元八条村にあったが古昔羽瀬川の洪水で流出、下流の大安寺の森市神社境内に止ったので千代神社として鎮在したが、後に当社内に境内社として遷座とある。かって千代連の居住地であったと考えられている。例祭は9月13日。 B説について社伝に古くは十市郡八条村にあったが天長年中(824-34)洪水で社殿流失、大安寺村に漂着、ここに祀られて森市神社の境内社になったという。 奈良県史 |
森市神社 生雷神を祀る旧無格社で、「式上式下神社取調」によると、勧請は「白鳳丁丑六年歟」とある。生雷神を仁寿元年(851)正六位の神位を奉授とされている(『文徳実録』)。 もと大安寺集落の字西馬場にあったが、大正13年8月現在地に遷座された。境内に、琴平神社と千代神社(式内社との説もある)がある。 奈良県史 |