笠縫駅から東へ、国道24号を渡って少し東へ入る。本光明寺の横、というか境内にある。 春日神社の境内社。瑞垣内には三棟の本殿と両脇に二つの小祠。 東末社(右)が、千代神社。 天長年中(824-833)洪水のため流失し、その後に春日神社を祀り、千代神社は森市神社へ移り、その後再び現地へ遷と伝う。 千代神社を再輿したのは明治中期以後ともいう。 本光明寺はもとは勝樂寺といい神宮寺と思われる。 東末社(右)が、千代神社。西末社は牛頭天王と思われる。 |
千代神社 A=春日神社境内末社の千代神社 B=森市神社境内末社の千代神社 Aは近鉄笠縫駅より東0.5km字千代の春日神社境内社として、Bは同笠縫駅の東1.5kmの字大安寺の森市神社の境内社として鎮座する。A・B説共に祭神八千千姫命。『大和志』には「在八条村 今称八幡 与安部・田村 預祭祀 式載在城下郡 正保三年以此地隷本郡」とあって『延喜式』神名帳登載の式内社で八条村に鎮座したといっている。 A説について『神社明細帳』に元八条村にあったが古昔羽瀬川の洪水で流出、下流の大安寺の森市神社境内に止ったので千代神社として鎮在したが、後に当社内に境内社として遷座とある。かって千代連の居住地であったと考えられている。例祭は9月13日。 B説について社伝に古くは十市郡八条村にあったが天長年中(824-34)洪水で社殿流失、大安寺村に漂着、ここに祀られて森市神社の境内社になったという。 奈良県史 |
春日神社 春日四柱神を祀る旧村社で、創祀・由緒は明らかでない。境内社の千代神社について『奈良県磯城郡誌』に「是古は此の地にありて式内社なりしも、洪水の為、流失し今は川東村大安寺の森市神社の境内に祀れり。村屋神社神主家記に曰く、千代神社は天長年中(824−34)、洪水の為、社殿流失、大安寺村に漂着せしにより、其の処に祭れりと・・・思うに此の社は後に春日神社内に祀り、末社としたるものなるべし」とある。他の境内三社は、八坂神社(素戔嗚命)・琴平神社(大物主命)・稲荷神社(保食神)である。宝暦七年(1757)の神社改のとき、八坂神社は牛頭天王とあるからこの境内社は宝暦以前の創始だとみられる。 奈良県史 |
千代神社 千代は知之呂と読り〇祭神詳ならず○八條村に在す、今八幡宮と称す、今十市郡に属す、(大和志) 神社覈録 |