当社の南方にある石見遺跡(推定・4世紀末〜5世紀初頭)が、出土品からみて、祭天の儀を背景とする天的宗儀の色彩をもつ祭祀遺跡と推測される。 「この社の名が正式には八尾の社と同じ、祭神も同じく3座であること、距離もさほど遠くないことから、この石見の社は元来八尾の社と同一社であって、もともと石見にあった鏡作社が何かの都合で八尾に遷座し、元の社地を尊んで小祠を止めたとして良いのではなかろうか」(小川光三大和の原像) |
鏡作神社 平安中期に著された延喜式にも当神社名が見られ、大字石見(イワミ)の氏神として古き由緒ある神社である。 鏡作神社の由来は、古事記にある天の岩戸神話に、天照大神が天の岩戸にこもられ、困った神々が相談し、天の香久山の榊の中枝に吊り下げた八咫鏡云々とあるが、その鏡を鋳造したのが、この神社の祭神・石凝姥命である。 よって、鏡作神社と呼ばれるようになった。そして、鏡作工人の祖人とされている。 鏡作神社がこの地にあるのは、日本神話の歴史上大切な誇りとすべき神社である。 三宅町教育委員会 社頭掲示板 |
鏡作神社 石凝姥命を祀る旧指定村社で、境内に天照皇大神社(天照皇大神)・春日神社(天児屋根命)・菅原神社(菅原道真)が鎮座する。石凝姥命は、天糠戸神の子で、天岩戸の変の時鏡を作って天照大神を慰めた五部神の一。鏡作部の租神で、『古事記伝』に鋳重の老女と言っている。古代におけるこの地方と鏡作部の関係を思わせる神社といえる。白髪神社ももと当社の境内社の一つで、祭神不詳。あるいは猿田彦神だろうか。 奈良県史 |
鏡作神社 当社は延喜式内社にして石凝姥命を祀る古社であるが荒れたるを浄財をつのり今秋諸造営を行う。 社前の鳥居と周囲を整え境内を画する石玉垣を構え築地を復元する等神域は面目一新する。 よってその由を碑に叙し御寄贈の芳名を石にとどめ以て記念とする。 昭和48年10月28日 石見鏡作神社 社頭石碑 |