素盞雄神社に合祀されている。もとは與喜天満神社内にあったものを明治41年(1908)素盞雄神社に合祀した。当初は與喜山(天神山頂)に鎮座し、磐座がご神体であつたと思われる。 社殿新しい。独立した鍋倉神社の社殿はない。川沿い山腹の神社である。 合祀社の素盞鳴神社は素盞雄命と大倉比売命を祭神にしていて、大倉比売命は合祀された堝倉神社の祭神である。 本殿向つて右下に名水「苔乃下水」(横井戸)が湧いている。 拝殿に向かつて左側より中央にイチヨウの巨樹(県指定天然記念物、周囲7.15m、樹高40m)が生えている。 境内東北隅に伝家隆卿墓といふ十三重石塔(鎌倉時代後期、梵字四方仏、花崗岩造、高さ約四メートル)がある。 堝倉神社は「秋葉神社」と記した覆殿の中にあると伝。 |
由緒 当社は、社伝によれば今(平成3年)を去ること1043年の昔、天暦2年に神殿大夫武麻呂が官公(菅原道真)の霊をむかえて與喜天満宮創建の時與喜山(大泊瀬山・天神山)は天照大神降臨の山でありその弟神素盞雄命の霊を鎮めねばならないとしてこの所に社殿を構えたのが始まりであるということであります。 その後、全国的に祇園信仰の高まりとともに疫病除けの神として明治維新までは六郎土寺という宮寺も置かれていた。 本地仏牛頭天王祇園精舎の守護神から転訛した「ごってらさん」の俗称で人々に親しまれ厚い信仰を集めて参りました。 明治41年には延喜式内社鍋倉神社(祭神大倉比売命)を合祀せられ、地元川上区の産土神として今日に至っております。 末社一宇は長谷寺境内より明治初年に十二社明神を遷し、同41年鍋倉神社遷座とともにその末社秋葉明神を合祀したものであります。 社頭掲示板 |
堝倉神社 堝倉は那倍久良と訓べし〇祭神詳ならず〇初瀬堝倉山に在す、(大和志、同名所図会、堝倉坦丙にあリ、) 神社覈録 |