三輪山の南麓の一角、集落の奥、丘上に位置する。大神神社の境外摂社。 長い参道が北に続き、階段上に本殿がある。 玉列は魂貫で、祖孫相承ける意であろう。 玉列王子が本来の祭神で、他の二神はのちの増祀にかかると思われる。 もと当社の東方に神宮寺慈恩寺があつたが、早く衰廃した。 |
由緒 大神神社摂社 玉列神社御由緒略記 鎮座地 桜井市慈恩寺 祭神 玉列王子神 配祀 天照大御神 春日大神 例祭 10月12日 御祭神玉列王子神は、御本社三輪の大物主大神の御子神で延喜式(延長5年、西暦927)神名帳にも見える初瀬谷に於ける最古の神社であります。昔から玉椿大明神として地元氏子区民は勿論遠く京阪神、東海地方に至るまで厚い信仰を集め特に金色のお砂は招福のしるしとして尊ばれております。 社頭掲示板 |
玉列神社 近鉄線朝倉駅の北方1Km三輪山の一角である丘陵上に鎮座する。『延喜式』神名帳登載の式内小社に比定されるが、創建年代は不明。大神祭の夏祭料としてその幣料の井帛一丈五尺を奉った(延喜式内蔵寮)とあるから大神神の裔神とみられる。東方に神宮寺の慈恩寺があったが早く退転した。明治10年(1877)大神神社の境外摂社となり、『万葉集』につらつら椿と歌われていることから俗に玉椿明神と称し、十月二日の例祭を椿祭りという。 奈良県史 |
玉列神社 玉列は、多麻都良と訓ベし〇祭神大神神御子玉列王子歟〇慈恩寺村に在す、(大和志、同名所図会)、○式十五、(内蔵寮)大神祭、夏祭料云々、緋帛一丈五尺、玉列王子幣料、盛筥一合、 神社覈録 |