街中のごく小社。式社表示なし。 大神神社を桑内神社にあてる説が有力である。 現在の大神神社(字屋敷)が祭祀地でなく、旧鎭座地は西方400mの字二ツ神であろう。桜井市役所庁舎北西側、県道桜井〜奈良線の西側、桜井郵便局の西方あたりになる。 大神神社は明治維新後も明治7年(1874)以後、天児屋根命を主神とし、春日神社を称していたが、明治37年5月大神神社に改めた。 中世字二ツ神(二座を表す)に祭られていた桑内神社が三輪明神の御子神にとつて替られ、三輪明神の分霊を祭つた。 二ツ神の地は、大神神社の西方約400m、桜井市役所の西北方、桜井郵便局の西側で、粟殿と上之庄との境界辺りという。 |
大神神社 粟殿集落中央に鎮座。 祭神は大物主命・天児屋根命・金山彦命。旧村社。延宝六年(1678)の石灯籠にも「大神社」と刻し、三輪山の大神神社(現桜井市)祭神を勧請したという。「延喜式」神名帳城上郡の「桑内神社二座」に比定する説もあるが、「大和志」は同社の所在不詳とする。 寺院神社大辞典 |
桑内神社二座 鍬靭 桑内は久波宇知ど勲べし〇祭神在所等詳ならず○旧事紀、(天孫本紀)建麻利尼命、桑内連等祖、〇日本紀、天武天皇9年9月癸酉朔己亥、桑内王卒於私家、 神社覈録 |