忍坂坐生根神社
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   【延喜式神名帳】忍坂坐生根神社(大 月次/新嘗)大和国 城上郡鎮座

   【現社名】忍坂坐生根神社
   【住所】奈良県桜井市忍坂871
       北緯34度30分31秒,東経135度52分21秒
   【祭神】少彦名神
       『特選神名牒』「祭神生根神」
       明治7年『郷村社取調帳』「祭神生根神」

       社名からして本来の祭神は生根神であろうが、生根神については不詳

   【例祭】10月17日 秋季大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天平2年(730)生根神戸『大倭国正視帳』
       大同元年(806)生根神一戸大和『新抄格勅符抄』
       貞観元年(859)正月27日従五位上『三代実録』
       その後の推移はわからない

   【関係氏族】
   【鎮座地】磐座もあり永くこの地で祀ったか

   【祭祀対象】本殿はなく、後ろの山を祀る
   【祭祀】江戸時代は「生根神社」と称す
   【社殿】本殿はない
       拝殿・土藏・社務所

   【境内社】天満神社・神女神社・愛宕神社
   【神宮寺】元禄2年(1689)に建立された石井寺薬師堂があった
        昭和50年頃まで境内の北東隅に旧神宮寺の廃円福寺・観音堂があった


旧城島村の東部に位置し、宇陀ケ辻から分岐して宇陀松山に向かう古道に沿い、また、大字慈恩寺の南方で初瀬街道から分岐して多武峯に出る間道の東側にあたる。
山腹にあり。小さな拝殿のみ有り。式社表示は無い。集落の中心にあり。社前は公園となっている。
背後の宮山をご神体山とし社殿の奥は「窓」になっていて本殿の設けはない、拝殿北にある「石神さん」という20個弱の自然石の列石(磐座)を祭つている。
石神は、普通21個といわれるが、昭和50年12月の調査では19個を確認した。形状は大小あるが、平べづたい丸石で、幅30〜50cm、地上の高さ10〜40cmの花崗岩。加工の形跡はない。


石神

拝殿と天満社の間には、大小21個の自然石を並べた『石神』(磐座(いわくら)。幅30cm〜50cm、高さ10cm〜40cmの花崗岩)があり毎月1日には区の各隣組長が交替して神前に供え物をし、神主の祝詞をいただいています。
毎年、大晦日には、区の役員と新旧の隣組長が揃い、拝殿裏の聖域とするところを紙垂(カミシデ)を付けた注連縄(しめなわ)で囲い、新年準備を行います。この囲む場所を特別な神域としているのです。併せて、境内への正面石段の登り切った頭上の榊の木に、宮山から採った杉の小枝を編みこんだ注連縄(しめなわ)を垂らし、神聖な域を造って新年を迎えるのです。

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忍坂坐生根神社

祭神 少彦名神
    天津彦根命
境内社
    神女神社・愛宕神社・天満神社
当社は天平2年(730)の「大和国正税帳」に、また延長5年(927)の「延喜式内社」にも名前がみえる古社で本殿を持たず宮山をご神体とし拝殿の北側に神が鎮座する「石神」と称する自然石十数個を並べた「磐座」があります。
ここ忍阪の地は隅田八幡宮所蔵の国宝人物画像鏡に刻まれた「意柴沙加宮」の地ともされ第26代継体天皇が磐余玉穂宮に即位される以前におられた処とされています。
また忍坂大中姫命や衣通姫が居られたとも伝わり、「大和志料」では額田部氏の祖天津彦根命を祀るとも記され、平安時代の医書「大同類聚方」に当社相伝の「以久禍薬」(額田部連の上奏)のあることを伝えています。その薬の製法は昭和の初頭まで伝わり、また額田部氏が居住したとするこの地で額田王と鏡女王姉妹との繋がりや息長足日広額天皇(第34代舒明天皇)の陵墓があることから息長氏の大和での拠点の一つであったとされています。
拝殿への石段の左右には境内社の「神女神社」と「愛宕神社」を、北門には「天満神社」を祀ります。
石灯籠24基の最古のものは拝殿下左右の延宝2年(1674)、正面登り口の石橋は正徳5年(1715)の刻銘があります。また年代不詳の陰陽石が一基あり、静かに村の安全と繁栄を見守っています。
境内には万葉集 巻13-3331<(作者不詳)・洋画家・有島生馬氏の揮毫)による万葉歌碑があります。
こもりくの 泊(はつ)瀬(せ)の山 青(あお)幡(はた)の忍坂の山は走出の よろしき山の 出で立ちのくわしき山ぞ あたらしき山の 荒れまく惜しも
平成23年9月
桜井市忍阪区

社頭掲示板



忍坂坐生根神社

近鉄大阪線朝倉駅の南方約1kmの字宮山の通称外鎌山(高円山)を神体山(神奈備)とする神殿のない古代の祭祀形態そのものの神社である。祭神は少彦名命で、『日本書紀』の一書に、大己貴命の国土経営に協力した外、病苦を抜除する医薬の神として信仰され、しかも石として出現される神であることは、『古事記』仲哀天皇の条の歌謡の「常世に坐す 石立たす 少彦御神の 神寿ぎ」や『日本書紀』神功皇后の条に「此の御酒は吾が御酒ならず神酒の司 常世に坐すいわたたす少御神の豊寿き・・・・」 とあることからも理解できる。境内の磐座(石神)は普通21個といわれ平べったい丸石で幅30-50cm、地上の高さ40-10cm、花崗岩で、宮座の人々が毎月三回神酒を供え、秋祭りには「キョウの飯」という御供と「ドヘ」の御幣を供えるという(『桜井市史』)。例祭は10月18日。宮座文書の「忍坂庄神事勤帳」は延徳4年(1492)以降のものが揃っている(同前)。
 当社の神宮寺円福寺の外に摂社として合祀された天満神社の神宮寺として元禄2年(1689)に建立された石井寺薬師堂があった。前者の観音堂に祀られていた本尊の木像千手観音立像・薬師如来坐像はじめ七体の仏像は明治の廃仏棄釈で赤尾村興善寺へ、後に石井寺から長野県の清水寺へと転々とした(式内社調査報告書)。

奈良県史



忍坂坐生根神社 大月次新嘗

忍坂は於佐加と訓べし、和名鈔、(郷名部)忍坂、(假字上の如し)日本紀、神武天皇戊午年10月條、作大室於忍坂邑、○生根は伊久禰と訓べし○祭神詳ならず〇忍坂村に在す、(大和志、同、名所図会)、
類社
撮津國住吉郡生根神(大月次新嘗)
神位
三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和國從五位下忍坂生根神從五位上、

神社覈録



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