三輪山頂上の奥津磐座の下に鎮座する 明治18年(1885)大神神社から内務省へ、高宮神社(山上)と山下の神坐日向神社とが誤つて入替っているから訂正したいと上申したが、翌19年1月保留を指令された。 三輪山頂上の高宮神社と神坐日向神社の関係は、山宮に対する里宮の関係とも見える。 狭井神社の境内に「三輪山」への登拝口がある。山内は、カメラの持ち込み・撮影などは禁止されている、社務所の脇には、コインロッカーが設置してあり、登拝する方はカメラなどの荷物を預けてから登る。 三輪山山頂から拝する冬至の朝日は、山頂から直視できる大和と伊勢の国境・高見山(1249m)の彼方、伊勢の方角から昇ることから、当山頂は冬至の朝日を拝する日向の地であったと解され、三輪祭祀の原点には日神信仰があったと推測される。 |
神坐日向神社 大月次新嘗 神は美和と訓べし、」日向は比牟加比と読り、○祭神大物主神幸魂奇魂〇三輪山嶺に在す、今高宮と称す、(大和志、同名所図会)、 平宜長云、古事記に、東山とあるに依て、此神社の日向をも、比牟加志と読ベし、旧名のたまたま此神社に存れるなり、日の出る方を東といふも、即日向の意なり、といへり、 類社 当国添上郡大和日向神社、(鍬靫)山城国宇治郡、近江国犬上郡日向神社、(各一座) 神位 三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和國從五位下神坐日向神從五位上、 鎮座 古事記、(神代段)大穴牟遅與少名毘古那二柱神、相並作堅此國、然後者、其少名毘古那神者度于常世國也、於是大國主神愁而告、吾独何能得作此國、熟神與吾能相作此國耶、是時有光海依来之神、其神言、能治我前者、吾能共與相作成、若不然者國難成、爾大國主神曰、然者治奉之状奈何、答言、吾者伊都岐奉于倭之膏垣東山上、此者坐御諸山上神也、 神社覈録 |