大神神社拝殿より西南方約150mやや高くなつた一角、俗に御子森というところに位置する。 当社の位置については、従来論議があつた。中世以來この神は、三輪山の絶頂神峯に坐すとするものが多かつた。 明治18年(1885)大神神社から内務省へ、高宮神社(山上)と山下の神坐日向神社とが誤つて入替っているから訂正したいと上申したが、翌19年1月保留を指令された。 三輪山頂上の高宮神社とともに式内社の神坐日向神社の論社であり、山宮に対する里宮の関係とも見える。 大神氏の後裔・高宮神主家が、その屋敷内に祀った氏神社が原点ではないかといわれ、その意味では高宮神社とするのが妥当とも思われる。 三輪山山頂から拝する冬至の朝日は、山頂から直視できる大和と伊勢の国境・高見山(1249m)の彼方、伊勢の方角から昇ることから、当山頂は冬至の朝日を拝する日向の地であったと解され、三輪祭祀の原点には日神信仰があったと推測される。 |
神坐日向神社 大神神社摂社 神坐日向神社 御祭神 櫛御方命 飯肩巣見命 武甕槌命 例祭日 5月9日 御由緒 大神神社の御祭神大物主大神の御子神の櫛御方命をはじめ、ご子孫の神々をお祀りします。 平安時代の「延喜式」神名帳にも記載される古社で、御子神を祀ることから神社の古絵図に「御子宮」として描かれています。社殿が神社建築では珍しく北向きとなっています。 社頭掲示板 |
誤謬ニ付訂正御届 摂社神坐日向神社ト摂社高宮神社ト名称互ニ誤謬ニ付訂正御届 摂社神坐日向神社之義ハ延喜式内ニシテ大神神社ニ格別御由緒玉有之。古来本社神体山絶頂ニ坐シテ、其地名ヲ神[カウ]ノ峯[ミネ]ト云、又神[カウ]ノ宮[ミヤ]トモ称セシヨリ、維新後設テ高宮[カウノミヤ]社ヲ是ニ宛。而シテ日向神社ヲ高宮[タカノミヤ]ニ宛タルハ甚シキ非ナリ。謹テ検スルニ、神ノ峯殿内峯遷坐神坐日向神社幸魂奇魂神霊ト書セル標札アリ。裏ニ弘化三年歳閏十一月十五日祭主大神(高宮)朝臣和房前神主民部勝房ト書セリ。是維新前神坐日向神社タリシ確書ナリ。又高宮神社ハ地名ナリ。今も高宮垣内に接続シテ社地ノミ現在ス。是字ヲ俗御子森[ミコノモリ]ト称ス。 明治18年9月 |