大神の聚落の北方台地に南面して鎮座する。集落の一番奥の神社。 寛平5年(893)に大和国三輪山麓に鎭座する大神神社の祭神大物主神の分霊を遷して奉祀し、三輪の奥宮と称せられ、古くから地名も大神と名付け、村名も大神村と呼ばれてきたと伝える。 往古より大神神社と何等かの関係が存在したからであろう。現在、大神神社の四月に執行される鎭花祭に供えられる百合根や、奈良市内に鎮座する大神神社の摂社率川神社の三枝祭の笹百合は当社からも補助として献供されている。また当社氏子が収穫した小豆が毎年大神神社に奉納されている。 牛頭天王信仰の流布によつてか、当社の祭神を牛頭天王となすようになつた。 明治30年、神名帳記載の社名神御子美牟須比命神社に復した。 社殿もなく後方の神体山を拝んだと思われる。 |
式内神御子美牟須比命神社 由緒記 1.菟田野町大字大神小字宮の谷281番地鎮座 1.神御子美牟須比命神を主神としてまつる 1.例祭日 毎年10月第三土曜日 例祭 7月第三日曜日 夏祭 社格 延喜式内社 旧宇太町 指定村社 「四時祭上」2月祈年祭に■五尺 木綿二両 麻五両当を奉り、宇陀郡十七座のうち一座で所謂式内社にして古着明神、今大神村にありと神名帳考 伴信友本に云う則って考証するに美牟須比は御産霊の仮の字で御祖と同義、御祖は即ち産霊と称す古語で、神御子は姫蹈鞴五十鈴比売にしてその産霊は勢夜多々良五十鈴姫で添上郡(奈良市)率川社と同神と考えられ、のちの考証を待ちます。 創祀の年代は不詳なれど伝説には宇多天皇寛平5年(895)に大神大物主字(大神字)の御分霊を奉遷し三輪社の奥宮という故に往古より大字名を大神・大上と称し現に■■宮の如く井ノ奥谷川と井戸ノ谷川の三角州の中には民有地なれど墓地はなく正常な土地とされ今日に至っている。 三代実録に貞観8年(866)3月神階従五位下授くとあります。境内地は1580坪四周稀に見る幽境高燥の浄地で嘗ては氏子25戸であり現在は17世帯であります。 社頭掲示板 |
ささゆり奉献神事 平成4年から神饌田(しんせんでん)の管理と祭りを行う崇敬会「大神豊年講(ほうねんこう)」が「ささゆり奉仕団」を結成し、人工栽培事業に取り組むことになった。豊年講の講元をつとめる吉岡秀義さん=宇陀市=に話をうかがった。 祭りには約700本のササユリが必要という。古くは大神神社の奥院(おくのいん)でもある神御子美牟須比命(みわのみこみむすひめ)神社(宇陀市菟田野大神(おおがみ))の氏子が自生のササユリを奉納していた。 現在でも半分ほどは大神地区の氏子と縁者が貴重な自生の花を採集し、毎年祭の前々日の15日夜に大神神社に納めている。あとの半分は豊年講が20年前から取り組んできた人工栽培で調達されている。 平成6年にビニールハウス栽培が始められたが、種からの生育は発芽する割合が低く、開花までに7年近い歳月がかかった。同じ条件で育てても翌年開花するとはかぎらない。 そんな厳しい状況の下、豊年講の有志の努力と熱意が実り、今では大神神社の「ささゆり園」や境内でかれんな花を観賞することができるまでになった。しかし最近では、「ユリ根」を狙うイノシシや野ウサギの獣害にも悩まされているそうだ。 「ゆりまつり」の前日の6月16日、大神神社に奉納された花を率川神社に運ぶ「ささゆり奉献神事」が執り行われる。 http://www.stomo.jp/3k_kiji/3k140614.html |
神御子美牟須比女命神社 神御子は美和乃美古と訓べじ、美牟須比女は假宇也〇祭神明か也○大神村に在す、今古首明神と称す、(大和志、同名所図会)、 大和志に、三代実録曰、貞観8年3月2日戊寅、授大和国從五位下神皇産霊神正五位下恐此、といへど詳ならず、故に此神位は、附録式外の部に載せて後勘をまつ、 神社覈録 |