『宇陀郡史料』に記載する所は「口碑によれば天養元甲子年(1144)8月頃字安の井と称する所に現れ出で其光日光の如く輝きて三方に亘りしより、光明の射す所を窺ひ見るに、一つは大井戸に達し、一つは尾井と称する井戸に達し、一つは根拠たる安の井井戸に入る。故に此の御井神社を奉安し(下略)」と記していて井泉の信仰としての御井神社の由来を述ベている。 平井小字堂願寺に皇太神社の境内社として本殿の向つて左にある朱塗春日造の社殿に石神神社(小字石神鎭座)と共に合祀されている。 現在も安ノ井・大井戸(矢ヶ井)・尾ノ井の三井は遺っている。 |