高角神社
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   【延喜式神名帳】高角神社 二座 鍬靫 大和国 宇陀郡鎮座

   【現社名】高角神社

   【住所】奈良県宇陀郡大宇陀町守道776
       北緯34度28分10秒,東経135度56分27秒
   【祭神】高倉下命
       『神祇志』『特選神名牒』賀茂建角身命・神倭伊波礼比古命
       『特選神名牒』一座は高皇産霊命
       総国風土記の残欠「所祭埴山彦也」
       『調査報告』賀茂建角身命と高皇産霊尊

   【例祭】9月11日 秋季例祭
   【社格】
   【由緒】由緒は詳らかすることができない
       天武天皇2年初めて神事を行なう

   【関係氏族】
   【鎮座地】この地は神武天皇聖蹟莵田高倉山伝説地とされる
        古くこの地に鎮斎されたか
        中世社頭漸次蓑微して所在不明に
        明治期に山頂気象観測所ができ一時山麓に遷した

   【祭祀対象】高倉山
   【祭祀】 
   【社殿】本殿板葺春日造
       社務所

   【境内社】 

宇陀川上流の左岸に位置する標高440mの高倉山の頂上に鎭座する。明治期に山頂気象観測所ができ一時山麓に遷したがもとに戻って祀られる。
山頂に神武天皇顕彰碑が建てられている。
明治33年の政始村役場の『名勝旧跡』には「此ノ社ハ大高角・小高角ノ二社ニ分レ、大高角神社ハ山上ニ、小高角神社ハ其ノ麓ニ祀リアツテ、大高角神社ニハ、神武天皇望軍ノ旧跡ト彫リシ碑ヲ安置シ、小高角神社ニハ神武天皇ト彫リシ石ヲ奉祀セリ」と記している。明治頃は当社を大高角神社・字下道の八坂神社を小高角神社とする。
伝承として、元々は北西600〜700m辺りにある「松山城」の地に鎮座していたとも。築城の際に現社地へ遷座させたとも言われている。
中世社頭漸次蓑微して行き、ついに其の所在するところもさだかでないといつた状態になつたようである。
古老の言に、この神は夜遊びをされると伝えられ、本殿に夜出入される穴をうがつてあるとのこと。


由緒概要

鎮座地 奈良県宇陀郡大宇陀町(旧政始村)大字守道高角776
御祭神 高角大神(またの御名高椋下神二座)
御例祭 春祭4月11日、秋祭9月11日
平安時代の戸籍簿の如き延喜式の神名帳に高角神社鍬靫二座とある大高角と小高角の両社で神武天皇即位前3年9月うだの高倉山の上より城中の形勢を膽望された聖地(日本書記に登載)で昭和15年2月7日神武天皇聖蹟莵田高倉山伝説地として文部省から認定発表されました。(宇陀郡では莵田穿邑と菟田高倉山だけ認定うく)高角大神は饒速日命の御子天香語山命(尾張速祖)の御事で神武天皇の軍隊が熊野の荒坂津(丹敷の浦)到着したとき悪神のため天皇たちはねむらせられたので天照大神の仰せで武甕雷神(鹿島神宮の主大神)が高角大神の夢枕に現れふつ霊という剣を汝の倉のなかに発見し天皇に献上したところ天皇以下一同は目を醒まされたという。その霊剣はその後石上神宮に移され奉安られたという。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




高角神社

式内高角神社 ここから500m登る
1.鎮座地 奈良県宇陀郡大宇陀町(旧投石村)大字守道字たかすみ776番地
1.御祭神
  高角の大神(またの御名 高椋下神)二座
1.御例祭
  春祭 4月11日 秋祭 9月11日
1.由緒概要
平安時代の全国神社の戸籍簿の如き延喜式の神名帳に高角神社鍬靫二座とある大高角と小高角の両社で神武天皇即位前3年9月うだの高倉山の上より域・の形勢を眺望された聖地(日本書紀に登載)で昭和15年2月7日神武天皇聖蹟兔陀高倉山伝承地として文部省から認定発表されました(宇陀郡では兔田穿邑と兔田高倉山だけ認定うく)高倉山の高角大神は饒速日命の御子大香語山命(尾張連の祖)の御事で神武天皇の軍隊が熊野の荒坂津(丹敷の浦)に到着したとき悪神のため天皇たちはねむらせられたので天照大神の仰せで武甕雷神(鹿島神宮の主大神)が高角大神の夢枕に現れふつの霊という剣を汝の倉の中に置くから天皇に奉献せよと告げられた翌朝高角大神は倉のなかに剣を発見し天皇に献上したところ天皇以下一同は目を醒されという。その霊剣はその後石上神宮に移され奉安せられたという。
大久保信治 三家宮司 謹誌

社頭石碑



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