中村の西方に源をもつ支流が神末川に合流する地点の西側標高約500m、東に神末川を望み見る杉木立に囲まれて、齋宮道と称せられる里道に接する。 倭姫命が垂仁天皇の勅により天照大神の御杖代となり鎭座の地を求めて、諸国を巡幸されたとき、この地に三ケ月間とどまられ、後伊勢の五十鈴の川上に鎮座されたので、その旧蹟によつて名張の神戸が置かれ、この地に天照大神の御分霊を奉齋して御杖代の故事に因み、社名を御杖神社と称したとしている。 社名の変遷が多く、棟札によれば、「上津江之御宮」(天文23=1554年)・国津大明神社(慶長18=1613年)・上之宮九頭大明神社(慶長19=1614年)・九頭大明神(寛永18=年)・牛頭天王社(承応3=1654年)・牛霊天王社(延宝4=1676年)等と書かれており、承応3年(1654)以降は牛頭天王と称するものが多い。更に明治24年には素盞之男神社と称し、同30年以降御杖神社と称した。 |
御杖神社 大和國宇陀郡御杖神社 ○鎮座地 奈良県宇陀郡御杖村神末園座1020番地 ○社格延 喜式内小社 旧社格 郷社(明治6年4月列格) ○祭神 久那斗神 八街比古神 八街比女神 久那斗神は、伊弉諾尊が黄泉から出で給いて筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原で御禊をされたときに投げ捨てた杖からお生れになった道饗祭の主神。この久那斗神と共に境界を守護する八街比古神と八街比女神の三座をお祀り中し上げています。 「久那斗」とは杖の義で、久那斗神は道路や巷(物事の別れ目)に在って、悪や禍を寄立ちて遮り、『此の処より来る事勿れ。』と防ぎ止め、行路を安全に守護する神様です。 「八街」とは辻の義で、八街二神は国引き・地引きの要に在って、悪や禍を塞ぎ護る要塞の神様です。 当社の祭神三座は、古来、鬼・疫病神が都や神域に入るを防ぎ止めて宮中・神宮を守護するために境界四方で行われていた道饗祭の神々であり、当地は伊勢神宮との関係が深く、また、国境の地なれば往昔の道饗祭が行われていた。 ○合祀祭 神須佐男尊、稲田姫命、大巳貴命、少彦名命、天之忍穂耳命、天之穂日命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理毘責命、狭依毘費命、多岐津毘費命 ○境内神社 八幡神社、道主貴神社、龍田神社、藪中神社、金比毘羅神社、稲荷神社、山神神社、木花佐久夜毘売神社、愛宕神社、秋葉神社 ○社殿本殿神明造 拝殿入母屋造 ○主要祭儀 例祭(ll月3日)、歳旦祭(1月1日) 祈年祭(2月17日)、砥園祭(7月14日) 新嘗祭(12月5日) ○縁起 当社は、延喜式神明帳(927年)の大和國宇陀郡17座の神社で、式内社の格を有する古社である。 第11代垂仁天皇の勅命により、天照大御神の御杖代(大御神を祀り、大御神の言葉を取り次ぐ斎宮)となられた皇女倭姫命は、大和國笠縫邑より神慮に叶うべき新たな宮地を求められ、道中この地に行宮を造り御休座になられた処と伝承されています。 当社では倭姫命の杖(神に占有され掌握の境域を画する玉杖)をお祀りするところから、御杖村の村名が付けられました、 天照大御神は伊勢に遷宮されましたが、故を以て神末村は伊勢神宮の神戸と定められ、明治初期まで五石五斗の貢米を奉献していました、 社殿は、天文15年争乱のため荒廃したが、天文23年(1554年)に造営した、以後、社殿の造営を繰り返し行って、多数の棟札を現在に残しています、慶長18年(1613年)の頃には近隣32ヶ村の郷社となり、明治6年には奈良県から奥宇陀22ヶ村の郷社と定められました。 なお、境内杉の樹齢は600年と伝えられています。 社頭掲示板 |
御杖神社 第11代垂仁天皇は、皇女倭姫命に勅して、天照大神の御杖代となり、大和笠縫邑より神慮に叶うべき地を求められし道中、この地に行宮を造り、ご休座になられし処と伝され、姫の杖をお祭り申し上げております。 祭神・八衢比古神・八衢比女神の八衢とは辻の義にて、国引き地引き塞の神として悪禍を塞き防ぎ守る神なり。 久那戸神の久那戸とは杖の義にて道路の神、巷の神として、悪禍を寄乍ら遮りて、此の所より来る勿れ防ぎ留めて行路を安全に守護する郷向導の神なり 社頭掲示板 |
御杖神社 第11代垂仁天皇の勅命により、天照大神の御杖代(大御神を祀り、大御神の言葉を取り次ぐ斎宮)となられた皇女倭姫命(やまとひめのみこと)は、大和國笠縫邑より神慮に叶うべき新たな宮地を求められ、道中この地に行宮を造り御休座になられた処と伝承されます。 久那斗神(くなどのかみ)、八街比古神(やちまたひこのかみ)そして八街比女神(やちまたひめのかみ)の三座をお祀りしております。 御杖神社の両側には、御神木「上津江杉」が伸びており、樹齢600年室町3代将軍足利義満公の御世と伝えられています。 境内にはいると葉の擦れ合う音や、蝉の声が聞こえ、差し込む木漏れ日が美しい場所です。 御杖村に来られた際は、是非訪れて頂きたい場所の一つです。 伊勢本街道式年遷宮の今年、是非御杖村まで足を伸ばし、悠久の浪漫を感じてみてください。 御杖村HP |
大和國宇陀郡 御杖神社 〇鎮座地 奈良県宇陀郡御杖村神末園座1020番地 〇社格 延喜式内小社 旧社格 郷社(明治6年4月列格) ○祭神 久郷斗神 八街比古神 八街比女神 久那斗神は、伊弉諾尊が黄泉から出で給いて筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原で御禊をされたときに投げ捨てた杖からお生れになった道饗祭の主神。この久那斗神と共に境界を守護する八街比古神と八街比女神の三座をお祀り申し上げています。 「久那斗」とは杖の義で、久那斗神は道路や巷(物事の別れ目)に在って、悪や禍を寄立ちて遮り、『此の処より来る事勿れ。』と防ぎ止め、人生の行路を安全に守護し、幸福をもたらす人生守護の神様です。 「八街」とは辻の義で、八街二神は国引き・地引きの要に在って、悪や禍を塞ぎ護る厄除の神様です。 当社の祭神三座は、古来、鬼・疫病神が都や神域に入るを防ぎ止めて宮中・神宮を守護するため境界四方で行われていた道饗祭の神々で、当地は伊勢神宮との関係が深く、また、国境の地であることから往昔には道饗祭が行われていました。 〇合祀祭神 須佐男尊、稲田姫命、大巳貴命、少彦名命、天之忍穂耳命、天之穂日命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理毘売命、狭依毘売命、多岐津毘売命 〇境内神社 八幡神社、道主貴神社、龍田神社、藪中神社、金比毘羅神社、稲荷神社、山神神社、木花佐久夜毘売神社、愛宕神社、秋葉神社 〇社段 本殿神明造 拝殿入母屋造 〇主要祭儀 例大祭11月第1日曜日 祇園祭7月海の日の前日(日曜日) 祈年祭2月中旬、新嘗祭12月初旬 歳旦祭12月31日 〇縁起 当社は、延喜式神明帳(927年)の大和國字陀郡17座で、式内社の格を有する古社です。 第11代垂仁天皇の勅命により、天照大御神の御杖代(大御神を祀り、大御神の言葉を取り次ぐ斎宮)となられた皇女倭姫命は、大和國笠縫邑より神慮に叶うべき新たな宮地を求められ、道中この地に行宮を造り御休座になられた処と伝承されています。 当社では倭姫命の杖(神に占有され掌握の境城を劃する玉杖)をお祀りするところから、御杖村の村名が付けられました。 天照大御神は伊勢に遷宮されましたが、故を以て神末村は伊勢神宮の神戸と定められ、明治初期まで五石五斗の貢米を奉献していました。 祉殿は、天文15年、争乱のため荒廃しましたが、天文23年(1554年)に造営し、以後、社殿の造営を繰り返し行って、多数の棟札を現在に残しています。 慶長18年(1613年)の頃には近隣32ヶ村の郷社となり、明治6年には奈良県から奥宇陀22ヶ村の郷社と定められました。 拝殿両側の御神木「上津江杉」の樹齢は600年、室町3代将軍足利義満公の御世と伝えられています。 ★秋祭り(例大禁、太鼓台巡行と境内練り込み、ごくまき)は、11月第1日曜日に行われます。 由緒書き |
郷社 御杖神社 祭神 久那斗神 八衡彦神 八衝姫神 本社創建年代詳ならす、且又誌料の徴すべきもの甚だ少し、神社覈録に「総國風土記残欠云、御杖神宮圭田八十五束、所祭非正魂霊、倭比当ス戴天照大神為御杖至此地、仍尋御宮地経三月終為神戸、と見え、日本書紀垂仁巻に「天皇以、倭姫命、為御杖貢奉於天照大神」とありて、其由緒詳ならざれども、延喜式宇陀郡小十六座の一たる古社にして、俗に葛明神と称し、近隣八ケ村の氏神として之れを奉祀せり(大和志、大和名所図会)、明治6年郷社に列す。 社殿は本殿、神楽殿、説教所等を備へ、境内1050坪(官有地第一種)、神末村の丘陵に在り。 明治神社誌料 |
御杖神社 御杖は美都衛と訓べし○祭神詳ならず○神末村に在す、今葛明神と称す、(大和志、同名所図会)、〇旧事紀(天皇本紀)大稻背別命、御杖君祖、○総国風土記残欠云、御杖神宮、圭田八十五束、所祭非正魂霊、倭比当ス戴天照大神為御杖至此地、仍尋御宮地、経三月終為神戸、 神社覈録 |