芳野川に合流する一谷川と堂奥川の中間、芳野川の南岸に位置する台地上に鎭座。杉の叢林有り。 当社は水分神が高見山から古市場に影向される途中、此処に一時止どまられた由縁によつて創祀されたものと考えられる。 後世当社を式内宇太水分神社に充てやうとして種々試み社記・宝物等徒らに古い年代を付けた、例へば宝物の獅子頭及び猿田彦の面に天平或は貞観と銘記されたるも悉く信用出来ず、江戸初期の作であると考えられる。更に造営棟札にも、天平8年(736)9月1日、貞観6年(864)正月21日、等の古い棟札があるが此等も信用出来ない。 享徳2年(1453)9月から古市場への渡御神事は再興され絶えることなく今日に至るまで続行されており、御輿は鳳凰をいただいた木造金銅装添漆塗で鎌倉時代後期の様式であるが、南北朝時代の作と推定されており国の重要文化財に指定されている。 |
宇陀水分神社 鎮座地 奈良県宇陀郡菟田野町大字上芳野 芳野鎮座式内惣社宇陀水分神社 祭神 天水分神 国水分神 速秋津比古命 天之児屋根命 譽田別命 他数神 由緒 大和朝廷時代の飛鳥を中心として、四周の東方にあたる宇陀地方の水の守り神として、ここ芳野川(淀川の源流)に創祀され、一郷(現在の榛原町、大宇陀町、菟田野町)の惣社として崇敬されている。宇陀水分三社(芳野、古市場、下井足)の上の宮である。 建造物 一、本殿 大正2年隣接の八幡宮を合祀し、当社の本殿(明治二年建築)とした。懸魚、蟇股等の彫刻は幕末の名工安本亀八の作 一、宝物保存庫 昭和48年建立(国補事業) 一、拝殿 昭和51年 改新築 一、神饌所 平成9年10月 改新築 一、社務所 平成9年10月 改新築 宝物 一、神輿(重要文化財)一基 南北朝時代の製作 一、瓶子 一対「貞和2年芳野本水分宮」の銘あり 一、鞍及鐙 一具「永楽5年」の銘あり 一、その他 数点 祭日 八幡祭 旧8月15日 水分祭 例祭 10月20日 渡御祭 10月21日 社頭掲示板 |
惣社宇陀水分神社 大和朝廷時代の飛鳥を中心として、四周の東方に当たる宇陀地方の水の守り神として、ここ芳野川(淀川の源流)に創祀され、一郷(現在の榛原町、大宇陀町、菟田野町)の総社として崇敬されている。宇陀水分三社の上の宮である。 社頭掲示板 |
鳳輦神輿 惣社水分神社御神輿 〔鳳輦みこし・重要文化財) 南北朝の頃に建造されたもので、今から六百年前のものである。 その形態は清楚で典雅のおもむきを備え、木造漆塗で細部の技風も卓抜している。 屋根は、宝形造りでふっくらした照起りとなっており、屋上に鳳凰をいただき、各隅木の木鼻が伸び、屋恨全体をひきしめている。 軒は、吊り金物細工で飾られ、その姿は壮厳である。 保存がよく建造当初の姿をよく残しており、鳳凰も当初のもので全国にその類をみない鳳輦みこしである。 鳳輦みこしとは、屋形の上に鳳鳳を付けた御興で、天皇の乗物の美称である。 秋まつり(10月21日)の「御渡り」には、この「みこし」を中心として時代行列を整え、古市場に鎮座する宇太水分神社へ渡る。 古式ゆたかな祭礼の行列が延々と続く情景は、正に優雅な豪華絵巻をみる想いであり、近郷近在屈指のお祭りである。 昭和31年(1956)国の重要文化財に指定された。 社頭掲示板 |