古市場の社を西殿の上の宮と云うのに対して、当社を田山の下の宮、或は単に下の水分宮とも称したようであり、明治37年5五月27日郷社より縣社に昇格せられたのは当社と古市場鎭座の字太水分神社の二社一体なりと考えられたのによる。 芳野川と郡の西南部の山地より流下する宮の奥川が合流して字陀川となる地点の南岸の丘陵上に鎮座する。 当社は水分神が西殿の地から此処に影向された有縁によつて社殿を建て水分神を奉齋したものと考えられる。爾來、田山の下水分神社として古市場の上の水分神社と一体不離の関係をもち、神位・神封等悉く両社ともに奉授され、延喜の制もまたこれによつたのであろう。後世、諸制度の頽廃・衰微等によつて上水分神社・下水分神社の緊密不可分の一体不離の関係は、何時の間にか、なくなりついには互に本末を争うようになり、両社共に式内宇太水分神社を称して譲らないものとなつていつたものと考えられる。 |
宇太水分神社略記 大和国宇陀郡榛原町大字下井足水分山鎮座の当宇太水分神社はその創祀の年代は詳かにし難いが、所伝によれば崇神天皇15年9月21日勅祭云々とされていて、御祭神は天之水分神、国之水分神、天児屋根命、品陀和気命の4柱で「延喜式神名帳」によれば、宇陀郡17座(大1座、小16座)の中、月次、新嘗の中祀に預る大社で、特に祈雨神85座に列せられて当時の官幣社と云う可く、この鎮座地を船形山と称し、大和国鎮座の水分4座、即ち、都祁、葛木、吉野と並び宇太水分神社の4社である。又「三代貫禄」によれば貞観元年正月27日、正五位下の神階を授けられ、雨乞いの神として篤く崇敬された神社で、明治の初年頃までは本殿を始め附属の建物はすべて古い形式を備えていたと記されています。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
宇太水分神社略記 主祭神 天水分神 (あめのみくまりのかみ) 国水分神 (くにのみくまりのかみ) 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 品陀別命 (ほんだわけのみこと) 末社 石神神社・稲荷神社・金刀比羅神社 奈良県宇陀郡榛原町下井足、舟形山に鎮座まします。 当神社の創祀は、太古の国史「三代実録」(奈良時代−平安時代に編集された六国史本)によれば、「貞観元年」(859年)9月8日宇太水分神社へ風雨祈願のため勅使を遣わし幣(お金や織物等)を奉ったとあるから、その由来は実に古く。水分神は「ミクマリ」と読まれ、五穀豊穣と、生命を宿す御神徳の高い農耕神として、人々の崇拝の対象とされてきたことを物語る。 延喜式神明帳では、当水分社は葛城、都祁、吉野水分と共に大和の四水分の大社とされていたが、応保年間(1160年)頃より芳野川にそって三所三座(当社・古市場社・芳野社)に祀られている。「延喜式登載」や「水分由来集」や「神体形相記」によると、 玉岡(古市場)水分は男躰、田山(井足)水分は女躰、中山(芳野)水分は童躰とあって、 かって祭礼には、中山水分から田山水分まで神輿の御渡があったと、伝えられている。 明治の始め頃までは、本殿を始め、附属の建物はすべて古い形式で(春日造)であったが、明治11年、神社形式令により県社の指定を受け現在の神明造りになっている。 平成9年5月 社頭掲示板 |
宇太水分神社 うだみくまりじんじや 奈良県宇陀郡菟田野町古市場及び榛原町下井足。つまり同社名の神社が二社鎮座している。以下冤田野町古市場鎮座の社を甲社、榛原町下井谷鎮座の社を乙社ということにする。両社ともに共通すのは、旧県社であることと例祭日が10月21日という点である。甲社は、三殿造りの現国宝の社殿には、速秋津彦命・天水分神・国水分神が祀られている。乙社は、天水分神・国水分神・天児屋根命・品陀別命を祀る。一般に乙社を下社、甲社を中社といい、菟田野町上芳野鎮座の芳野水分神社を上社と称している。 因みに宇陀郡内に合計七社の水分神社が鎮座している。宇太水分神社は、平城天巣大同元年(806)神封一戸が寄せられ、清和天皇貞観元年(859)正月には、従五位下から正五位下が授けられた。また延喜の制では大社に列し、祈年・月次・新嘗の案上の官幣及び祈雨の幣に預かったが、前掲の甲社、乙社のいずれがそれに該当するかはつまびらかでない。 神社辞典 |
郷社 宇太水分神社 祭神 速秋津彦命 天水分神 國水分神 創建年代詳ならざれども、本社は宇陀川の上游水浜に在りて、老樹鬱蒼として繁茂し、祠宇亦古雅なり、其由緒深き古社たること明かなり、内務省は之れを四百年外の建造となし維持費を給せり(大日本地名辞書)明治6年郷社に列す、同23年3月社號宇陀水分神社を改めて現社號と改称せり。 社殿は本殿、拝殿、社務所等を具備し、境内4529坪(官有地第一種)あり。 明治神社誌料 |
宇太水分神社 大月次新嘗 宇太は郡名に同じ、假字也、水分は美久麻理と訓べし、○祭神天水分神○下井足村に在す、(大和志、同名所図会)、○式一(四時祭上)祈年祭條に、宇陀水分加馬一匹、」同三、(臨時祭)祈雨祭神八十五座(並大)云々、宇陀水分社一座、』猶吉野水分社の下見合すべし、 類社 当國吉野郡吉野水分神社の下見合すべし、常國四箇処あり、 神位 続日本後紀、承和7年10月己酉、奉授无位水分神從五位下、(此叙位の事、吉野郡吉野水分神社の下見合すべし)、三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和國從五位下、宇陀水分神正五位下、 官幣 三代実録、貞観元年9月8日庚申、大和國宇陀水分神、遣使奉幣、為風雨祈焉、 神社覈録 |