高鉾神社
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   【延喜式神名帳】高桙神社 鍬 大和国 吉野郡鎮座
          (旧地)嶽神社

   【現社名】高鉾神社
   【住所】奈良県吉野郡吉野町山口634
       北緯34度24分52秒,東経135度53分29秒
   【祭神】高皇産霊神 (配祀)神皇産霊神
       明治7年の『神社取調書上帳』には高木神
       同12年の「明細帳」には高皇産霊神
       『古史成文』に「高皇産霊神亦名高木神」
       社伝の『謂書記』には正殿に高皇産霊神
        相殿に伊弉諾尊、國常立尊、天照大神、天照月読尊

   【例祭】4月22日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】明治4四年(1871)7月郷社
       明治39年(1906)より例祭に幣用料を供進される
       大正2年(1913)よりはさらに祈年・新嘗両祭にも幣帛を供進された

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとは竜門岳山頂に鎮座
        正中年中(1324-26)山麓に鎮座「タカホコヂ」の地
        文亀3年(1503)吉野山口神社境内の東北に遷宮鎭座
        後世天満宮と称し、文化4年(1807)社名変更

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「天満宮」と称す
   【社殿】本殿春日造桧皮葺極彩色
       建築は吉野山口神社と同期と思われるが遙かに簡素である

   【境内社】意賀美神社・牛瀧神社

吉野山口神社と並立して鎮座する。もとは竜門岳山頂に鎮座と伝う。山頂に嶽神社があり、正中年中(1324-26)高桙神社を高桙にうつして改めて嶽神社と称したという、高桙神社の本宮と号する。後世天満宮と称し、文化4年(1807)社名変更。
今社家高鉾家のすぐ東の稲荷小祠の鎭座する472番地付近約一畝歩の地名を「タカホコヂ」と呼び、かつで山頂より奉遷した高鉾神社跡と伝える。
中世ごろから吉野山口神社と共に竜門大宮と称し、竜門郷の総社として境内には神宮寺として大宮寺が建てられ、神主・社僧による神仏混合の祭祀が行なはれた。明治初年の廃仏毀釈で大宮寺は廃された。
龍門岳山頂の岳神社は高鉾神社の本宮又は元宮と称す
異説として、度会延経は『神名帳考証』に「吉野高城山俗云ニ城山」と萬葉集に詠まれた吉野山山頂近い「三吉野乃高城山」を当てている。


高鉾神社

御祭神 高皇産霊神
 延喜式神名帳に記載された神社である。明治以後郷社として格付けされた。最初竜門岳山頂に祀られていたが、約五百年前、ここ吉野山口神社の境内に遷され、両神社とともに、竜門郷の総社として崇められている。今竜門山頂にある嶽神社は、高鉾神社の元宮であるとされている。本殿の建築が、室町時代の形式をとどめていること及び社殿中央にある一基の灯籠に、文亀3年(1503)の銘があり遷宮記念に奉献されたものでないかと云われている。昔から農耕の神、縁結びの神、命ごいの神、安産の神として崇敬があつい。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




高鉾神社

延喜式神名帳に記載された神社であったが、明治以降郷社として格付けされた。最初龍門岳山頂に祀られていたが、約500年前、ここ吉野山口神社の境内に移され、同神社と共に、龍門郷の総社として祀られている。今も龍門山頂にある、岳神社内、高鉾神社の元宮であるとされている。本殿の様式が室町時代の形式を留めていること及び、社殿中央にある一基の灯籠に文亀3(1503)の銘があり、遷宮記念に奉献されたのではないかと云われている。昔から、農耕の神・縁結びの神・命乞いの神として崇敬があつい。

社頭掲示板



郷社 高鉾神社

祭神 高皇産霊神 史料の徴すべきもの甚だ少くして、創祀年月及び其後の沿革未だ詳ならずと雖も、醍醐天皇の延喜の制祈年祭に鍬一口を加奉りたる古社にして(延喜式)古は龍門山の山頂に在りしといふ、神社覈録に「祭神詳かならず、山口村山口神社域内に在す」とあり、然るに後世今の吉野山口神社の境内に移し祭れり(大和志、大和名所図会、神祇志料)
社殿は只本殿あるのみ、境内1137坪(官有地第一種)、吉野郡群■の間にあり、荘嚴なる神境たり。

明治神社誌料



高桙神社 鍬

高桙は多加保古之読り○祭神詳ならず○山口村山口神社域内に在す、土人云、昔在龍門山頂、礎石尚存、(大和志、同名所図会)
伴信友云、此名に依るに高杵歟といへり、』高城寵門両山の地理なほよく考ふべし、

社頭掲示板



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