国道169号線川上村、「道の駅」よりすぐ。川岸高い位置。集落よりは離れている。新築の明るい神社。 旧社地は大滝ダムによって水没平成10年3月15日遷座が行われた。 旧社地は現在地の北約500m。 明治初年までは高おかみ神社という小規模な祠で、その由緒も不詳であるが、大滝ダム建設に伴う境内の発掘調査により宮の平遺跡が発見され、本殿跡の真下から平安時代後半(11世紀末)以前に遡る自然石を敷き並べた祭壇跡が出土し、また付近からは、縄文時代中期末から後期初めにかけての祭祀遺跡と見られる、立石を伴う環状配石遺構が出土したため、当神社の祭祀空間としての機能は縄文時代にまで遡る可能性が出てきた。 |
丹生川上神社共通 天武天皇3年(674)「人境を隔てたる深山に我を祭らば、天下の為に甘雨を降らしめ、霖雨を止めん」との神勅ありて奉幣されたに始まる。世に丹生川上雨師の神と称し、祈雨には黒馬、止雨には白馬(後世赤馬)を献じた。 式内二十二社の第二十一位として朝廷の尊崇が篤かつた。 延喜の制で名神大社として四時祭の官幣に預かる。 淳仁天皇から応仁の乱に至るまで歴世神祇官差遣の上、奉幣祈願された事は実に九十六回に及ぶ。 これほどの名社も、応仁の乱以後、たとえば『親長卿記』明応5年(1496)には既に祈雨奉幣のための資力がないというような記事があり、丹生川上神社そのものの所在すら消息を失ってしまった。明治4年(1871)に至り、丹生大明神社(現下社)を官幣大社丹生川上神社としたが、これに対して寛平7年の太政官符にのる四至に適合しない、としてむしろ現上社をあてるべきとする『大日本史』に従い、同7年、高神社を官幣大社丹生川上神社奥宮とした。が、これにも異義の生ずるところとなり、同29年、丹生川上神社を下社、奥宮を上社とした。さらに東吉野村の蟻通神社が、その社辺をとおる高見川を古代の丹生川であるとして請願したことからこれを中社と認定するに至り、大正11に現在の中社を加え3社を一括して官幣大社丹生川上神社とする事になった。 このとき中社の祭神を罔象女神、上社を罔象女神から高お神へ、下社は高お神から闇お神へ改められた。 昭和27年、3社はそれぞれ独立した。 |
丹生川上神社上社 御祭神 高お大神 相殿神 大山祇神、大雷神 御由緒 天武天皇白鳳4年(皇起1335年)「人聲ノ聞エザル深山吉野ノ丹生川上ニ我ガ宮柱ヲ立テテ敬祀ラバ天下ノタメニ甘雨ヲ降ラシ霖雨ヲ止メム」との神宣により創祀されたと伝えられています。 上代の祭祀に御社殿はなく、折りにふれて霊山、霊木等に降神をいたし、祭祀を行っていましたが、天武天皇の御代、初めて御社殿を建立して奉斎されたのであります。勿論それ以前から祭祀が行われて居りました事は、現社殿近くより多数の土器・石器が出土しましたので、御本殿御遷座の後、再び発掘調査いたしますので、上代より祭祀が行はれていた事を明らかにされる事でしょう。 天武天皇は英聖文武にあらせられ、深く治民に御心を用いられ、数多くの御治績を擧げられておられます。敬神崇祖の念篤く、皇女を斎宮とされ、二十年毎の伊勢の神宮の遷宮の制を設けられました。仏教も奉信されて、薬師寺等も建立遊ばされたのであります。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
宮の平遺跡 大滝ダム建設に伴い、平成10年3月に移転した丹生川上神社上社の旧境内で、本殿跡の真下から平安時代後半(11世紀末)以前にさかのぼる石敷きの祭壇が出土し、調査した県立橿原考古学研究所が『最古の神社関連遺構』と発表している。 平安時代の法令集『延喜式』神名帳に名が見える古社の全面発掘は初めてで、社殿は12世紀末頃になって建ったこともわかった。 同研究所は、山などをご神体にして祭祀を行った祭壇と断定した。 また付近では、長さ30cm前後の石棒が十本以上出土。 うち一本は直立した状態であった。 縄文時代中期末〜後期初め(約4000年前)の祭祀とみられている。 HP |
御由緒 御祭神 高お大神 相殿神 大山祇大神 大雷大神 御例祭 10月8日 御鎮座祭 3月15日 この里は 丹生の川上ほと近し祈らは晴れよ五月雨の空 後醍醐天皇御製 高お大神様は降雨・止雨を掌られ山の上に棲まれます龍神様のことであります。 生命在る者総て片時も水の恩恵を享けなければ生命を保つ事は出来ません、其の真清水を首領される神様で農耕を以て生活してきた我大和民族は生命の根源である水に対して殊の外関心が深く、大神様に対する尊崇の念は特に高く四・五千年の昔より奉祀いたして丁重な御祭儀を御奉仕申し上げ御神恵を享けて生活してきました。 神宣を御享けになりました天武天皇は御社殿を建立御奉仕遊ばされ其の意を対して今日に至っておりました。 然し乍ら建設省の大滝ダム建設の為旧神社境内地は水没地域に在り天下万民の福祉に慮を効しこの岡辺を大宮処と定め伊勢の神宮より御用材頂戴し当神社の御神木檜樹と併せて御神殿を建立、過る平成10年3月15日浄闇の中に御遷座申し上げ今上陛下より幣帛を頂戴し三日間に亘り御遷座奉祝奉幣祭を斎行申し上げました。 正参道入り口に社号標を建て、鳥居は御神名拝殿には御神徳の扁額を神宮の酒井少宮司様の筆により掲載させて頂き社殿正面には御神縁深い神馬を奉安致しました。 神雨霑麗とは神様が雨を潤し・・・意でぎざいます。 大神様に対する尊崇の念の深い事の具現として京都の貴船神社東京品川の荏原神社等全国津々浦々に1280余社に御分神が奉祀されております。 私どもはこの大神様の恩頼を享けて生活させて頂いております事に慮を効され日々感謝の誠を捧げらて生業に恪しまして益々御健勝にて御隆栄遊ばされますよう御祈年もうしあげます 社頭掲示板 |