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山口集落の東北端岳川左岸にある低い丘陵上の森に東面して鎭座する。山麓の神社。叢林深く目立つ。 式内社高鉾神社と同一境内、拝殿背後にある。 この杜には山口神社・高鉾神社が左右に並立し、併せて「竜門大宮」と呼称されていたという。 本来は気象を司る水源や風雨の神としての大山祇神を天神と崇めたことから、鎌倉期ごろいよいよ盛であつた天満天神信仰と一体化して天満宮と称された。 この地は。大古龍門岳の神霊を山麓地帯一円の岳郷の人々が拝んだ祭祀場とみられる。 本地垂迹思想により神域に神宮寺の大宮寺が建立された。 明治初年の神仏分離令で大宮寺は廃寺となり天満宮の名称も廃されて吉野山口神社と改称した。 |
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吉野山口神社 御祭神 大山祇神 延喜式神名帳に名を連ねた神社であった。明治以降は村社となった。中古天満宮と呼ばれたが、これは天候を司る神である天神信仰から天神とたたえられ、鎌倉時代に菅原道真の天神仰が盛んになって、あたかも菅公を祀るかのように信じられたためであろう。明治以降元の社名に改められた。拝殿の前にある二基の灯籠は、八代将軍徳川吉宗公が、参勤交替の長途の安全を祈って寄進されたものである。因に当社の横を通る県道が江戸へ通じる高見越えの伊勢街道である。当社は古くから山の神降雨止雨を司る神として信仰されている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
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山口(坐)神社 やまぐち(にます)じんじゃ 『延喜式神名帳』に大和国には夜支布・伊古麻・巨勢・鴨・当麻・大坂・吉野・石村・耳成・都祁の山口神社と長谷・忍坂・飛鳥・畝火の山口坐神社が見え、いずれも大社で祈年・月次・新嘗の官幣に預かり、また山城国には賀茂山口神社がみえる。四社のみ坐神社となっているのを、乾健治は地名を示すためか皇居に近いことを意味しているかであろうという。『延喜式四時祭』には、甘樫・飛鳥・石村・忍坂・長谷・吉野・巨勢・賀茂・当麻・大坂・膽駒・都祁・養生などの山口には各馬一匹を加えよとあり『延喜式神名帳』にない甘樫の名がみえる。『延書式祝詞』の祈年祭・月次祭に「山口に坐す皇神等の前に白さく、飛鳥・石村・忍坂・長谷・畝火・耳無と御名をば白して……皇御孫の命の瑞の御舎を仕え奉りて……四方の国を安国と平らけく知ろし食すが故に、皇御孫の命のうづの幣帛を称へ辞竟へ奉らくと宣ふ」とあり、広瀬大忌祭に「倭国の六御県の山口に坐す皇神等の前にも、皇御孫の命のうづの幣帛を……奉る。かく奉らば、皇神等の敷き坐す山々の口より、さくなだりに下し賜う水を……」とある。『延喜式臨時祭』の祈雨神祭に巨勢・賀茂・当麻・大坂・膽駒・石村・耳成。養生・都祁・長谷・忍坂・飛鳥・献火・古野の山口神社が預かっている。これらのことより、宮殿造営のため御料林伐採の際、山口に坐す神を祀ったこと、山口の水を司る神として、また祈雨神として奉祀されたことがわかる。神階は『三代実録』貞観元年(859)に『神名帳』にみえる14社の山口神社中、夜支布山口神に正五位上、その他13社の山口神に正五位下の昇叙がみえる。 ▼吉野山口神社 奈良県吉野郡吉野町。旧村社。大山祇大神を祀る。もと竜門村で、岳川の左岸の小島峠の西に鎮座している。 例祭12月7日。 神社辞典 |
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吉野山口神社 吉野は前に同じ、山口は夜麻久知と訓べし、○祭神山神大山祇命○龍門荘山口村に在す、今天神と称す、(大和志、同名所図会)、○式一(四時祭上)祈年祭條に、吉野山口加馬一匹、」(祝詞には載せず)」同三、(臨時祭)祈雨祭神八十五座(並大)云々、吉野山口社一座、」猶高市郡甘樫社の下見合すべし、 類社 山城國愛宕郡賀茂山口神社の下見合すべし 神位 三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和國從五位下吉野山口神正五位下、 官幣 三代実録、貞観元年9月8日庚申、大和國吉野山口神、遣使奉幣、為風雨祈焉、 神社覈録 |
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