金剛山の尾根上を行者杉より千早峠に向かう途中の標高792m、神福山の山頂に鎭座する。 山頂に位置するため、嚴しい風雨により社殿はことのほか破壊がすすむという。本殿の南東約5mの位置に径約2m、高さ1m弱の塚状の盛り土があり、石敷て囲まれている。 氏子地域の大澤の大沢寺の近くに式外雑社高天佐太雄神社が鎮座していたのを明治24年に当社へ合祀している。里宮と言うか遙拝所であったのだろう。 こんな高所に、しかも郡の西北端ともいえるこの山間地に、当社、高天岸野神社、一尾背神社と三社の式内社が至近の位置に鎮座していることは比定にやや疑問がある。 |
高天山佐太雄神社 鍬 高天山は多加麻乃夜麻と訓べし、佐太雄は假字也、○祭神詳ならず○大澤村神福山頭に在す、俗天狗峯と呼ぶ、(大和志、同名所図会) 神社覈録 |