火雷神社
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   【延喜式神名帳】火雷神社 大和国 宇智郡鎮座

   【現社名】火雷神社
   【住所】奈良県五條市御山町74
       北緯34度20分13秒,東経135度41分41秒
   【祭神】火雷神
       『大和志』雷神
       『神名帳考証』火産霊命
       『特選神名牒』軻遇突智神

   【例祭】10月23日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創立の年代を延暦19年(800)とする
       貞観元年(859)4月10日従三位
       元慶3年(879)6月8日正三位

   【関係氏族】
   【鎮座地】この地が当初鎮座の地とする

   【祭祀対象】水の神
   【祭祀】江戸時代は「若宮大明神」と称す
   【社殿】本殿一間社流造、銅板葺
       割拝殿

   【境内社】八坂、春日、八幡、御霊、蛭子、櫻木、龍王

丹生川との合流点に近い吉野川の南岸、御山集落からやや低い位置、吉野河の自然堤防上に位置している。
延暦19年(800)創立と伝。田の中の神社。川沿い。岬状の地。集落の外れにあり。
当社の鎮座地が創立時より変動がないものとするかぎり、本来の祭神は水の神であつたと思われる。
本来の当社の神は火の神か水の神である自然神が祭神であったと考えられる。御霊信仰が宇智郡を風靡することになって当社の神も井上皇后の御子を雷神として当社に祀り御霊社の若宮と呼ぶことになり、当社遷宮も霊安寺僧の奉仕によって行われることになった。


御霊信仰

宝亀6年(775)4月、井上内親王とその子他戸親王は日を同じくして郡内のどこかで幽閉のまま死を遂げるといふ事件が起きる。以後、宇智郡ではこの怨霊を慰籍するための御霊信仰が広まるのであるが、當社の近くに井上内親王の宇智陵が治定されたことや、とくに霊安寺町の御霊神社が丹生川を隔てて相対する位置に鎭座してから以降は、井上皇后の若宮雷神を祭神とするやうになつたものと思はれる。

式内社調査報告



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