二見町の南はずれ、西流してきた吉野河が南に向つて大きく湾曲する右岸のやや高所に鎮座する。 当社北方にある大日寺の旧蔵文書のうち応永5年(1398)12月18日の田地寄進状に、大日寺造営のための寄進料田を流用すれば「御霊雨師等之御罰可豪者也」とあり、この『雨師』は当社のことと考えられる。慶長六年(1601)から寛永十七年(1640)にかけての宮座の頭人帳(下村家文書)に「雨主大明神」とあり、大永六年(1526)10月の雨乞集(道家蔵)に「雨主神主」がみえる。 |
二見神社(雨師神社)御由緒 ◎御祭神・富須洗利命(二見氏の祖神)・水波能売命(水の神様) ◎所在地五條市二見2丁目(旧小字雨師) ◎社務所〒637五條市二見4丁目1−9御霊神社・二見神社社務所宮司藤井治(〒637五條市霊安寺町2079рO7472−3−0178) 古代、この地域に、二見氏が住んでいました。弘仁6年(815)編さんの『姓氏録』に、「大和天孫二見首富須洗利命之後也」と記されており二見の村をひらいたのは、二見首で、首長"おびと”が祖神を祭り、このあたりを治めていたと考えられます。 延長5年(927)に編さんされた『延喜式』神祇志の巻に当時の全国の神社名が記されており、この古い由緒ある神社の事を《式内社》と呼ばれています。 当二見神社は、《式内社》で、『延喜式』に次のように記されています。 「二見神社今在二見村(いまふたみむらにあり)蓋二見首貫本国者(けだしふたみのおびとのもとつくににして)祀其祖火 降命也(そのそほつせりのみことをまつるなり)」当二見神社は、いつのころからか、『雨師神社(雨主社)』とも称されるようになり、ご祭神も「水波能売命」を祀るともされるようになりました。『大和志』(同名所図会)に「二見者布多美と訓むべし 祭神二見首祖二見村在す 今雨師と称す」と記されています。二見は降水即ち雨の意とする解釈もあり、二見が雨師に転化したとする考証もありますが、吉野・丹生の川合にあるこの土地は、肥沃の土地で農耕に適しておる一面、治水も最大の課題で有ったと考えられます。 私達の遠い祖先が、この土地に根をおろし、祖神を祭り、水の神を祭りながら、農にいそしみ、家内安全・豊作を祈り、感謝したことと思います。以上簡単に縁起を記しました。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
二見神社 二見は布多美と訓べし○祭神二見首祖歟〇二見村に在す、今雨師と称す、(大和志、同名所図会)、○姓氏録、(大和國神別)二見首、富須洗利命之後也、。 神社覈録 |