荒木神社
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   【延喜式神名帳】荒木神社 大和国 宇智郡鎮座

   【現社名】荒木神社
   【住所】奈良県五條市今井町905
       北緯34度21分41秒,東経135度42分24秒
   【祭神】荒木神
       『神名帳考証』建荒木命
       『神社覈録』は「祭神荒城朝臣歟」

   【例祭】10月22日 例祭 10月23日 例祭
   【社格】
   【由緒】不詳

   【関係氏族】関係の深い氏族の推定は困難
   【鎮座地】この地は史跡浮田杜伝説地であり、当初よりこの地に鎮座

   【祭祀対象】森や大荒木の山
   【祭祀】継続して祭祀されてきたと思われる
   【社殿】本殿一間社春日造
       祝詞殿・拝殿・社務所

   【境内社】春日神社・琴平神社・八坂神社

祭神は諸説あり。集落の奥。山裾の小社。今井町の集落の北はづれ、荒木山の森を背に五條市の街並を見下ろす好地に位置し、境内地の南端は旧伊勢街道に接している。背後の叢林は深い。前面の叢林は伐採されている。万葉集に詠まれた浮田の杜の伝承地。この杜は神威が厳しかった。
当社に関係の深い氏族の推定は困難である。荒木神社は特定の氏族の祖神ではなく、いわゆる自然神を祀つた在地の神社と思われる。(神社覈録は当社を荒木氏の祖と関連して見ている)当社は字智盆地を一望のうちに俯瞰する好地に鎭座し、樹木が鬱蒼と茂つて誠に印象的である。
「かくしてや なほや守らむ大荒木の 浮田の杜の 標にあらなくに」(万葉集2839)
標縄を嚴かに張りめぐらされた浮田の杜が、神聖なる森や大荒木の山こそが本来の御神体、祭神であつたと思われる。
現在の御神体は高さ20cm位の木造衣冠束帯の坐神像


史跡浮田杜伝説地

昭和32年6月13日指定
浮田杜は、万葉集に詠まれた古代の社そうであるが、このあたり一帯の荒木神社の杜が相当すると考えられている。
かくしてやなおや守らむ大荒木の浮田の杜の標ならなくに(作者不詳巻十一の二八三九)歌の内容は標縄に寄せて女性の想いをのべた恋歌であるが、その背景には、この杜が、古来より神威厳しく、みだりに人の立入を禁じていた事によるとみられる荒木神社は、今井集落の北端に荒木山を背にし、旧伊勢街道に面して鎮座している。
祭神は不明であるが、「延喜式」神名帳記載の式内社に比定されている。
植物相は、シイ、クロバイを主とした常緑広葉樹林、ヒノキを主とした針葉樹林によって構成され、暖帯要素を混えた樹そうとなっている。
特にクロバイの巨樹の群生は、五條市内では唯一のもので、植物学上貴重な存在である。
平成4年6月奈良県教育委員会

社頭掲示板




浮田の杜伝承地

奈良朝の頃「浮田の杜」というのは名勝として歌にも詠まれたが万葉集に
「かくしてや なほや守らむ大荒木の 浮田の社の 標にあらなくに」
とあるのがそれである。平安時代に書かれた栄山文書には宇智郡に「荒木坂」の名が見えるが、これはこの神社の西北にある荒坂の事であると考えられ、又この山も古来荒木山と呼ばれたことは今でもこの神社の裏山付近に「荒木山」の小字の名が残っているのでも知られる。従って延喜式神名帳の大和国宇智郡下の荒木神社とあるのはこの神社である事は確かである。
万葉集では「大荒木の浮田の杜」と詠まれているので僧契沖は勝地吐懐遍や万葉代匠記でそれは大和宇智郡の荒木神社の杜であると主張した。それ以来大和志や神名帳考証や万葉集古義等皆この説を採っている。
万葉集でも詠んでいるように古くこの杜は神威の厳しかった為みだりに立ち入る事が自然に禁ぜられていたようである。
その事を「標」といったのである。そういう特別な神域であった為吉野川、紀ノ川、又その沿道を往来する旅人には目に著しく写って崇敬の念と共に色々な点で目標となる景勝地であったようだ。
「昭和32年6月13日史蹟浮田の杜伝承地として奈良県の指定を受けた」

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




浮田の杜

所在未詳。『延喜式』神名帳に「大和国宇智郡荒木神社」とあることから、奈良県五條市今井にある荒木神社だと言われるが、京都市伏見区淀の与杼(よど)神社とする説もある。万葉集に1例のみで、11-2839に「かくしてや なほやなりなむ 大荒木(おほあらき)の 浮田の社の 標(しめ)にあらなくに(こうしてやはり老いてゆくのか。大荒木の浮田の神社の注連縄(しめなわ)でもないのに)」とある。歌意から察するに、当時のウキタノモリは、古びた注連縄がかかっている、古色蒼然とした訪れる人の少ない神社であったのであろう。浮田の杜の枕詞の「大荒木」が、死者を埋葬するまでの期間に遺体を納めて置くことを意味することからも、浮田の社の荒涼としたイメージが感じ取れる。

万葉神事語辞典 http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/dbTop.do?class_name=col_dsg



史跡浮田社伝説地

昭和32年6月13日指定
浮田社は万葉集に詠まれた古代の社叢であるが、このあたり一帯の荒木神社の社が相当すると考えられている。
かくしてや なおや守らむ大荒木の
  浮田の杜の標ならなくに
     (作者不詳 巻11−2839)
歌の内容は、標縄に寄せて女性の想いをのべた恋歌であるが、その背景には、この杜が古来より神威厳しく、みだりに人の立入を禁じていたことによるとみられる。
荒木神社は、今井集落の北端に荒木山を背にし、旧伊勢街道に面して鎮座している。祭神は不明であるが、「延喜式」神名帳記載の式内社に比定されている。
植物相は、シイ、クロバイを主とした常緑広葉樹林、ヒノキを主とした針葉樹林によって構成され、暖帯要素を混えた樹叢となつている。特にクロバイの臣樹の群生は、五條市内では唯一のもので、植物学上貴重な存在である。
平成4年3月
奈良県教育委員会

社頭掲示板



荒木神社

荒木は安良伎と訓べし○祭神荒城朝臣祖歟○今井村荒木坂池南に在す、今天神と称す、森を浮田といふ、(大和志、同名所図会)○姓氏録、(摂津国神別)荒城朝臣、大中臣朝臣同祖、津速魂命三世孫天児屋根命之後也、
伴信友云、大アラキノ浮田ノ杜コレ也、
類社
伊豆國田方郡、丹波國天田郡荒木神社、(各一座)伊賀國阿拝郡須智荒木神社、飛騨國荒城郡荒城神社、

神社覈録



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