阿陀比売神社
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   【延喜式神名帳】阿陀比売神社 大和国 宇智郡鎮座
          (旧地)阿陀比売神社【旧地】

   【現社名】阿陀比売神社
   【住所】奈良県五條市原町24
       北緯34度22分5秒,東経135度44分51秒
   【祭神】阿陀比売神 彦火火出見命 (配祀)火須勢理命 火照命
       『神名帳考証』神阿多津比売

   【例祭】10月19日・20日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創立の年代、その後の沿革については不明
       創立は、崇神天皇15年と伝
       神亀5年(728年)藤原武智麿が神戸(神殿)を寄進した
       正平年中(1346−70)高師直来襲して兵火に罹る
       明徳4年(1393)社殿を再建
       寛正2年(1461)3月改造

   【関係氏族】二見首・大角隼人・阿多隼人
   【鎮座地】禁足地「姫火懸の森」があり、この地が当初の地であろう

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿一間社春日造
       江戸時代初期の建築と考えられる。
       【五條市 重要文化財指定第1号(昭和62年)】
       割拝殿・絵馬堂

   【境内社】八坂神社・大神宮、熊野神社、春日社、八幡宮、金刀比羅宮

西阿田集落と原集落のほぼ中間、西流してきた吉野河が東阿田町附近で大きく向きを変えて南流する右岸にある。
古事記・日本書紀にこの地の記載あり。
二見首・大角隼人・阿多隼人の本貫地が当社の附近であつた可能性もある。從つて、これら一族がその祖火蘭降命、またその生母神吾田津姫をここに祀つたとする説もある。
またこのあたり一帯に住んでいた阿陀隼人は、鵜を飼い梁を仕掛け筌(うへ)を伏せて魚を捕るのが生業であった。阿太の鵜養達がその祖神をここに紀つたか。
神社の東方、吉野河に近い処に比売火懸或いはシメシカケと呼ばれる森が残つてゐる。阿陀姫が三柱の子を産ませられたとき、産屋に火をつけられたことを記紀は記しているが、森はこの伝承にもとづくという。「姫火懸の森」は禁足地になっている。



由緒

式内社 阿陀比売神社御由緒
◎鎮座地奈良県五條市原町24番地(旧指定村社)
◎御祭神主神阿陀比売大神【阿陀津比売命】−木花咲耶比売命
御子火須勢理命(富之須佐利乃命・火須芹命)
御子火照命
御子彦火火出見命以上四柱を祀る。
本殿春日造。檜皮葺。主屋方2.1m。軒二重繁たるきを打ち、彩色を施している。
寛正(室町時代)の棟札ありと伝えられるが、現在その所在不明。
江戸時代初期の建築と考えられ、重要文化財につぐ貴重な神社建築である。【五條市重要文化財指定第1号(昭和62年3月5日)】
◎境内社☆八坂神社『素戔鳴命』☆天照皇太神社『天照皇大神』☆熊野神社『伊弉諾尊』☆春日神社『武甕槌神』☆八幡神社『誉田別尊』☆金刀比羅神社『大物主命』
◎御由緒当神社の創立は、崇神天皇15年(西暦前83年)と伝えられ、又、奈良時代、神亀5年(西暦728年)藤原武智麿が神戸(神殿)を寄進したとも伝えられる。
「延喜式神名帳」(延長5年西暦927年完成)にある阿陀比売神社は、本社であり、五條市内式内社11社の社の内に挙げられる、由緒ある古社である。
当神社は、安産の神として、古来より信仰厚く、鈴の緒を戴き腹帯にする。
男児を欲する時は、白。女児を欲する時は、赤。無事出産すると、新しい鈴の緒を奉納することが習わしであった。
今日では、例祭に腹帯を祈祷し、総代宅に保管して授与している。
御祭神木花咲耶比売命が皇孫瓊瓊杵尊にめされ、御子を産みます時、室に火をかけられた。炎の初めて起こる時生みませる御子をホスセリノ命、次にホアカリノ命、次にヒコホホデミノ命と「日本書紀」にある。
“ヒメヒカケ”(後述)は姫が火をかけられた意に解せられ、安産を祈ることも、姫神のこの御安産に基づくとせられるのである。
◎にえもつの里−書紀・神武天皇−
水に縁ひて西のかたに行くに及びて、亦、梁を作ちて取魚する者有り。
天皇問ひたまふ。対へて日さく、臣は是れ苞苴擔の子なりと。此れ即ち阿太のうかい部が始祖なり。
−古事記・神武天皇−
その八咫烏の後より幸でまししかば、吉野河の河尻に到りましき。
時に筌をうちて魚取る人有りき。ここに天ツ神の御子、汝は誰ぞと問はしければ、僕は、国ツ神、名は贄持の子と日しき。【こは阿陀之鵜養祖】
◎シメシカケノ森
神社の東方の森を「シメシカケノ森」(別名比売火懸の森)と呼ばれる森がある。前述の記紀にちなむ伝承である。
◎タケヤ・タケガイト・チモリ
へそのおを切った竹べらを捨てた所と伝えられる。更にチモリ(血森)などお産にかかわる伝承が多い。
◎縄文・弥生・古墳時代の遺跡
当神社の周辺一帯は、考古学上でも極めて重要な地域であり、阿太一帯に、縄文・弥生・古墳時代の遺跡が点在している。
「ニエモツノ里」阿太は、阿陀比売神社と、古代史にかかわる興味深い伝承と遺跡の田園地帯なのである。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




由緒沿革

祭神 主神  阿陀比売命・木花咲耶比売命
    御子  火須勢理命・火照命・彦火火出見命
本殿 春日造桧皮葺 主屋(方2.1m)軒 二重繁垂木を打ち彩色を施している。寛正(室町時代)の棟札有りと伝えられるが現在その所在不明。江戸時代初期の建築と考えられており重要文化財(神社建造物)につぐ貴重なものである。
境内社 八坂神社  大神宮
    熊野神社  春日神社
    八幡神社  琴平神社
由緒沿革当神社創立は人皇第18代祟神天皇15年と伝えられ式内社にして阿陀郷の氏神なり 後神亀7年荒廃した社殿をみて藤原武智麻呂公 金の神幣を寄附し給ひて社殿を改築せり郷民尊崇して四時(春は3月20日夏は6月20日秋は9月20日冬は11月20日)の祭祀を行へり 就中3月20日は安産御祈願の日として御神徳もまた顕かなり 即ち古来より安産の神として信仰深く男子を欲する時は白女子は赤の鈴の緒を腹帯として戴きお礼に新しい布を奉納するならわしとなっている 物変り星移りて正平年中 高師直来りて吉野の行宮を犯すや阿陀郷や紀伊の郷士等此の地に防戦して勝たず時に兵火にかかり神戸もまた毀損せられのち明徳四年郷民等之を悲歎し当時の領主に歎願して社殿を改築し神領をも申しうけたりき降って 寛正2年3月またこれを改築 即ち現存せるものその一部なりのち應仁年間以来氏子村々不和を生じ追々分離現在は原区の氏神として祭祀せられている

社頭掲示板



阿陀比売神社

祭神は阿陀比売命・火須芹命・火火出見命・火照命。本社殿は春日造桧皮葺脇社殿はやや小さめの春日造桧皮葺で、八坂神社で市指定文化財、祭神は素盞鳴命。
「おや神さん」と「牛頭天王さん」を祀るという。境内社、大神宮・熊野神社・琴平神社・例祭日は10月20日。延喜式内社。
五條市教育委員会

社頭掲示板



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