大坂山口神社(逢坂)
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   【延喜式神名帳】大坂山口神社(大 月次/新嘗) 大和国 葛下郡鎮座

   【現社名】大坂山口神社
   【住所】奈良県香芝市逢坂831
       北緯34度32分52秒,東経135度41分30秒
   【祭神】大山祇命 須佐之男命 稲倉魂命
       明治12年「神社明細帳」「祭神、素盞鳴命」
       明治24年「神社明細帳」「主神、須佐之男命」相殿神に「天児屋根命、稲倉魂命」

   【例祭】10月16日 秋季大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創立の次第は不詳
       崇神天皇9年4月甲子朔己酉、依夢之教祭大坂神
       貞観元年(859)正月27日正五位下『三代実録』
       貞観元年(859)9月8日遺使奉幣。爲風雨祈焉『三代実録』
       雨乞、また霖雨止まざる時に臨時祭として祈願をされ、幣帛を奉られる社であつた
       永禄3年(1560)再建
       寛永15年(1638)造営「午頭天王」
       明治6年(1873)村社

   【関係氏族】 
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】山口神社
   【祭祀】江戸時代は「午頭天王」と称す
   【社殿】本殿三間社流造り、桧皮葺 室町時代後半の様式を残している
       拝殿・祀詞殿・渡殿・神輿庫

   【境内社】

平地。街中。明るく新しい社殿。崇神天皇9年黒楯8枚、黒矛8竿をもって祀る。南東に近接して「祝部」の旧跡あり。東隣の畑の南に「神さん井戸」がかってあった。
本殿と拝殿の中程に周囲約4.5m)、樹齢千数百年程を経た白木の大樹があり、傍に巨石があり形状は亀に似て、瑞象を現すという。


由緒

当社は、延喜式内大社であって近世には牛頭天皇社と称している。
崇神天皇9年黒楯八枚、黒矛八竿をもって祭らせ給い、神階正五位上を賜わる。又この年、勅使参向され、祈雨祭八十五座の中の一座に列せられる。なお祈年祭には馬壱頭を加えての官幣を賜わる。
本殿と拝殿の中程に周囲十三尺八寸(約4.5m)、樹齢千数百年程を経た白檮の大樹がおり、傍に巨石があり形状は亀に似て、瑞象を現す。
往古より神木と崇め注連縄を張りめぐらし、太古よりの神籬の跡がうかがえる。
南東に近接して当社の『祝部(はふりべ)』の旧跡があり、現在民家の庭園となっている。さらに東隣の畑の角に『神さん井戸』と呼ばれていた井戸があったが、現在は埋没している。
御祭神
大山祇命:天地総覧、村の守護神 五穀豊穣、家の安全
須佐之男命:学業成就、武道練達、不老長寿
神大市比売命:安産守護、商売繁盛、子孫繁栄
奈良県文化財指定
本殿一棟 三間社流造桧皮葺
       棟札9枚 最古の札は寛永16年

社頭掲示板




逢坂・大坂山口神社本殿

奈良県指定重要文化財
室町時代
大坂山口神社は、逢坂と穴虫(あなむし)の2ヶ所にあるが、この神社の起こりについて『古事記』(こじき)には「崇神天皇(すじんてんのう)の時に赤い楯(たて)と矛(ほこ)を以(もっ)て墨坂(すみさか)の神を祀(まつ)り、黒い楯と矛をもって大坂の神を祀る」と書かれてる。墨坂神社は榛原町にあり、大和に入る東の入口にあたる。これに対して、大坂山口神社は、西の入口にあたり、西国から大和への関となる。なぜ、大坂山口神社だけ2社存在するかについては、諸説があり、はっきりしていないが、両社とも、大和の西の玄関口に位置していることは、この地の重要性をうかがわせている。
逢坂大坂山口神社の本殿は奈良県指定文化財となっている。奈良県内の神社建築の多くは江戸時代に建てられたものであるが、この本殿は細部に室町時代の様式をもっていることから、特に重要なものとされている。県の指定文化財にふさわしい、風格を漂わせている。

社頭掲示板



大坂山口神社

平成13年度香芝市指定文化財
大坂山口神社神像及び宝物類
種別 有形文化財(彫刻)有形民俗文化財(文書・祭具)
平成14年3月8日指定
逢坂の集落に鎮座する式内社大坂山口神社は、近世に社寺詣での道として頻繁に利用された伊勢街道に面しています。
本殿は、三間社流造・檜皮葺で、寛永15(1638)年の棟札と構造手法から、この時期に建立されたと考えられます。
しかし、細部に室町時代後半の古い建築様式を残していること から、奈良県の指走文化財となっています。
本社で祀られている神像は、木造男神坐像や木造女神坐像をはじめ11躯で、鎌倉時代から江戸時代まで広範にわたっています。また、平安時代末期から江戸時代にかけての8躯の狛犬や室町時代末期頃の宮座文書などが残されており、これらの遣品は、本社の来歴を知るための貴重な資料となります。
平成14年3月
香芝市教育委員会

社頭掲示板



山口(坐)神社

やまぐち(にます)じんじゃ 『延喜式神名帳』に大和国には夜支布・伊古麻・巨勢・鴨・当麻・大坂・吉野・石村・耳成・都祁の山口神社と長谷・忍坂・飛鳥・畝火の山口坐神社が見え、いずれも大社で祈年・月次・新嘗の官幣に預かり、また山城国には賀茂山口神社がみえる。四社のみ坐神社となっているのを、乾健治は地名を示すためか皇居に近いことを意味しているかであろうという。『延喜式四時祭』には、甘樫・飛鳥・石村・忍坂・長谷・吉野・巨勢・賀茂・当麻・大坂・膽駒・都祁・養生などの山口には各馬一匹を加えよとあり『延喜式神名帳』にない甘樫の名がみえる。『延書式祝詞』の祈年祭・月次祭に「山口に坐す皇神等の前に白さく、飛鳥・石村・忍坂・長谷・畝火・耳無と御名をば白して……皇御孫の命の瑞の御舎を仕え奉りて……四方の国を安国と平らけく知ろし食すが故に、皇御孫の命のうづの幣帛を称へ辞竟へ奉らくと宣ふ」とあり、広瀬大忌祭に「倭国の六御県の山口に坐す皇神等の前にも、皇御孫の命のうづの幣帛を……奉る。かく奉らば、皇神等の敷き坐す山々の口より、さくなだりに下し賜う水を……」とある。『延喜式臨時祭』の祈雨神祭に巨勢・賀茂・当麻・大坂・膽駒・石村・耳成。養生・都祁・長谷・忍坂・飛鳥・献火・古野の山口神社が預かっている。これらのことより、宮殿造営のため御料林伐採の際、山口に坐す神を祀ったこと、山口の水を司る神として、また祈雨神として奉祀されたことがわかる。神階は『三代実録』貞観元年(859)に『神名帳』にみえる14社の山口神社中、夜支布山口神に正五位上、その他13社の山口神に正五位下の昇叙がみえる。
▼大阪山口神社
A同郡香芝町大字逢坂。旧村社。大山砥命・素盞嗚命・稲倉魂命を祀る。この地は大坂に登る山口で、境内に白檮の神木と亀形の巨石がある。例祭10月16日。

神社辞典



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