大坂山口神社(穴虫)
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   【延喜式神名帳】大坂山口神社(大 月次/新嘗) 大和国 葛下郡鎮座

   【現社名】大坂山口神社
   【住所】奈良県香芝市穴虫3140
       北緯34度32分41秒,東経135度41分6秒
   【祭神】大山祇命 (配祀)須佐之男命 天児屋根命
   【例祭】10月16日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創立の次第は不詳
       崇神天皇9年4月甲子朔己酉、依夢之教祭大坂神
       貞観元年(859)正月27日正五位下『三代実録』
       貞観元年(859)9月8日遺使奉幣。爲風雨祈焉『三代実録』
       雨乞、また霖雨止まざる時に臨時祭として祈願をされ、幣帛を奉られる社であつた
       明治6年(1873)村社
       明治40年(1907)幣帛料供進の指定村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】山口神社
   【祭祀】江戸時代は「午頭天王」と称す
   【社殿】本殿三間社流造桧皮葺
       拝殿

   【境内社】事比羅神社・巌島神社
   【神宮寺】社前には神宮寺威光庵があった

山腹の社。
鎮座しているのは穴虫峠で小丘の宮山の麓に鎮座。
本殿背後は磐壁である。また本殿真後ろに磐座の先端かも知れない丸い石がある。
延喜式記載の14の山口神社の一社として古代より篤く崇敬されていた。この地は交通の要衝でもある。
神宮寺威光庵はもと神社後方にあり、無本寺で宗派も不明であったが、明和4年に大道村(現大阪市)の大道寺末となり、曹洞宗と定めて社前に移建した。明治初年の神仏分離により廃寺となる。


大坂山口神社

延喜式内社大坂山口神社は、大字穴虫字ミヤ山に鎮座され、延喜式内社の由緒がある。
祭神は牛頭天王、八幡、春日の諸神で、当社の牛頭天王信仰(祇園信仰のこと)は近世には広く知られ、祇園宮寺(廃寺)もあった。また奉納宮相撲は古来有名である。
本殿には、寛文4年(1627)以来の棟札が奉納され、現在の三間社流造の本殿は桁に文化12年(1815)再建と墨名があり華やいだ建築意匠と共によく保存された神社建築である。
祭典
元旦祭  正月元日
節分祭  年越しの日
春祭り  4月上旬
秋祭り  10月16日、17日
感謝祭 12月上旬

社頭掲示板




大坂山口神社

祭神 大山祇命(おおやまつみのみこと)・須佐之男命(すさのおのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)
式内社(しきだいしゃ)大坂山口神社は、古代大坂越えの大和から河内に至る入口に位置し、近世では長尾街道に面する交通の要衝に鎮座(ちんざ)されます。
 本殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の銅板葺(ぶ)きで、文化13年(1816)の再建とされますが、寛永2年(1625)以来の棟札(むねふだ)が残されています。それには、背後の山の石巌(せきがん)を掘削して神域を広げたことを記すもの、祇園宮寺(ぎおんぐうじ)とみえ、神宮寺の存在が確認できるものがあります。拝殿は間口五間、奥行ニ間の割拝殿で、棟札によると延享元年(1744)の再建になります。また、平成元年3月には、本殿屋根を銅板葺きに改修、あわせて拝殿脇殿、上段の塀、手水舎(ちょうずや)などが新築されています。
 近世の『大和志(し)』には、「在穴蒸村 今称牛頭(ごず)天王」とみえ、牛頭天王社(祇園宮)と称されていたことがわかります。秋の大祭には、この牛頭天王に奉納する宮相撲が行われ、「馬場のお宮さんの相撲」といい、相当な賑わいであったといわれています。拝殿には、文久2年(1862)や明治19年(1886)の奉納板番付があり、境内には馬場組記念碑や石垣を組んだ桟敷(さじき)席があり、近年まで土俵(どひょう)も残されていました。この馬場組をリードしたのは、大阪相撲で活躍した地元出身の力士、大(おお)の松為次郎(1859〜1921)で、大正4年(1915)境内で引退相撲を行ったあと、素人相撲の世話役として活躍されました。
 また、近世以降、当麻・勝根・鎌田・五位堂・良福寺など、村名を冠した相撲組が『竹園(たけぞの)日記』などにみえ、周辺の墓地には古い力士墓があります。二上山麓の村々では相撲が大変盛んであったことがわかります。
 なお、式内社大坂山口神社は、当社とその北東約600mに位置する逢坂のニヶ所に所在し、ともに式内社と称しています。

香芝市HP



山口(坐)神社

やまぐち(にます)じんじゃ 『延喜式神名帳』に大和国には夜支布・伊古麻・巨勢・鴨・当麻・大坂・吉野・石村・耳成・都祁の山口神社と長谷・忍坂・飛鳥・畝火の山口坐神社が見え、いずれも大社で祈年・月次・新嘗の官幣に預かり、また山城国には賀茂山口神社がみえる。四社のみ坐神社となっているのを、乾健治は地名を示すためか皇居に近いことを意味しているかであろうという。『延喜式四時祭』には、甘樫・飛鳥・石村・忍坂・長谷・吉野・巨勢・賀茂・当麻・大坂・膽駒・都祁・養生などの山口には各馬一匹を加えよとあり『延喜式神名帳』にない甘樫の名がみえる。『延書式祝詞』の祈年祭・月次祭に「山口に坐す皇神等の前に白さく、飛鳥・石村・忍坂・長谷・畝火・耳無と御名をば白して……皇御孫の命の瑞の御舎を仕え奉りて……四方の国を安国と平らけく知ろし食すが故に、皇御孫の命のうづの幣帛を称へ辞竟へ奉らくと宣ふ」とあり、広瀬大忌祭に「倭国の六御県の山口に坐す皇神等の前にも、皇御孫の命のうづの幣帛を……奉る。かく奉らば、皇神等の敷き坐す山々の口より、さくなだりに下し賜う水を……」とある。『延喜式臨時祭』の祈雨神祭に巨勢・賀茂・当麻・大坂・膽駒・石村・耳成。養生・都祁・長谷・忍坂・飛鳥・献火・古野の山口神社が預かっている。これらのことより、宮殿造営のため御料林伐採の際、山口に坐す神を祀ったこと、山口の水を司る神として、また祈雨神として奉祀されたことがわかる。神階は『三代実録』貞観元年(859)に『神名帳』にみえる14社の山口神社中、夜支布山口神に正五位上、その他13社の山口神に正五位下の昇叙がみえる。
▼大阪山口神社
@奈良県北葛城郡香芝町大字穴虫。旧村社。
大山祇神・須佐之男命・天津児屋根命を祀る。『大和志』に「大坂山口神社穴蒸村二在リ」とあり、『大和名所図会』『古事記伝』などでは、当社を式内社に充てている。
例祭10月17日。

神社辞典



大坂山口神社 大月次新嘗

大坂は於保左加と訓べし、和名鈔、(郷名部)葛上郡大坂、」山口は前に同じ、〇祭神 山神大仙祇命○穴蒸村に在す(今牛頭天王と称す、(大和志、同名所図会)、〇式一(四時祭上)祈年祭條に、大坂山口加馬一匹、」同三、(臨時祭)祈雨祭神八十五座(並大)云々、大坂山口社一座、」猶夜支布山口社の下見合すべし、〇日本紀、崇神天皇9年3月甲子朔戊寅、以黒盾八枚、黒矛八竿、祠大坂神、4月甲子朔巳酉、依夢之教、祭大坂神、同10年9月、天皇遣五十狭芹彦命、撃吾田媛之師、即遮於大坂皆大破之、」古事記(履中段)到幸大坂山口之時、遇一女人云々、」また日本紀天武天皇巻に、大坂道、大坂山、
類社
山城國愛宕郡賀茂山口神社の下見合すべし、当國十三箇処あり、
神位
三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和國從五位下大坂山口神正五位下、
官幣
三代実録、貞観元年9月8日庚申、大和國大坂山口神、遣使奉幣、為風雨祈焉、

神社覈録



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