当麻山口神社
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   【延喜式神名帳】当麻山口神社(大 月次/新嘗)大和国 葛下郡鎮座
   【延喜式神名帳】(境内社)当麻都比古神社 大和国 葛下郡鎮座

   【現社名】当麻山口神社
   【住所】奈良県葛城市當麻1081
       北緯34度31分10秒,東経135度41分19秒
   【祭神】大山祇命 天津彦火瓊瓊杵命 木花佐久夜比売命
   【例祭】9月22日 秋季例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創立年代は不詳
       貞観元年(859)正月27日正五位下『三代実録』
       貞観元年(859)9月8日遺使奉幣。爲風雨祈焉『三代実録』
       延喜式一、四時祭の上巻に「當麻山口社、加馬一匹」
       延喜式三、臨時祭にも手厚く祭祀が行なわれた
       宝永6年(1709)社殿再建
       宝永7年(1710)拝殿再建
       明治6年(1873)村社
       明治40年神饌幣帛料供進指定

   【関係氏族】当麻氏
   【鎮座地】古くは当麻寺の境内にあり
        移転の年代不詳

   【祭祀対象】大和国内の山口神社の一
   【祭祀】新宮谷の名から新宮大明神と言われ、あげく熊野権現と称されたようである
   【社殿】本殿三間社、流造、銅板葺
       拝殿 神庫 絵馬殿

   【境内社】摂社として、本殿の左右に當麻都比古神社二座がある
        春日若宮神社・(郷中末社)新宮大明神社


古くは当麻寺の境内にありと伝える。
この神社が大和国内の山口神社の一であれば、山の神である大山祇神一座であつた筈であるが、何時からか天津彦火火瓊々杵命と、木花佐久夜比売命を合せ祀るようになつたものだが、その理由は判然としない。
累代の社家は高津家の出であり、高津家は、用明天皇皇子の後裔の当麻真人清雄から出自しているという。


当麻山口神社

式内大社
当麻山口神社
一、御祭神
 本殿
  天津彦々火瓊瓊杵命
  木花佐久耶比売命
  大山祇命
 摂社
 当麻都比古神社 本殿の左右に鎮座
  麻呂子皇子
  当麻津姫
 末社
  春日若宮神社
  天忍雲根命
一、御由緒
往古は近郷の総鎮守産土大神として延喜式神名帳(901年)に「人皇五十五代文徳天皇仁寿3五年(853年)夏4月11日これを祭る」と、当時官社であった事が記されています。
また三代実録には清和天皇貞観元年正月27日(859年)に当神社に正五位を贈られ神使を参向し幣帛を奉納とあり神社縁起の上からもまことに古い歴史を持つ由緒深いお社です。
摂社当麻都比古神社の祭神麻呂子皇子は用明天皇の皇子で聖徳太子の異母弟にあたり当麻氏の祖とされています。当麻寺を創建したこの地の豪族当麻氏の氏神として男女二神をお祀りしております。延喜式神名帳に式内小社と記載されています。

社頭掲示板




当麻山口神社

二上山の山裾に鎮座し、延喜式内明神大社としての風格を思わせます。近世文書のうえでは「万歳郷平田庄新宮大明神」といわれる十六ヶ村の総社で、大和山口神社十四社のうち大山祇をお祀りしてあります。いつのほどにか彦火瓊瓊杵命、木花佐久耶比売命を合祀し、「西国名所絵図」では熊野権現社とされています。この正面の参道を登ってゆくと、本社の広庭近く右側に、まず末社春日若宮神社があり、広庭から拝殿までの間に「百度石」と狛犬や大きな石灯籠があります。拝殿は桁行き9.9m梁行き3.6mの瓦葺き総板床で、明治21年8月に改築されました。本殿は打越流造、二重破風、但し本屋根は千鳥破風で向拝が唐破風になって居ます。桁行き4.8m梁行き2.8mの三間社で、屋根は桧皮葺で、中央に彦火瓊瓊杵命、右に大山祇命、左に木花佐久耶姫命がお祀りしてあります。

社頭掲示板



当麻山口神社

住古より近郷十六ヶ村(當麻、大橋、西中、勝根、今在家、染野、市場、岡崎、大中、有井、神楽、築山、大谷、池田、野口、鎌田)の郷社鎮守産土大神として広く崇敬、信仰されてきた旧指定郷社です。延喜式神明帳(901年)に「人皇五十五代文徳天皇仁寿3年(853年)夏4月、冬11月これを祭る」と当時すでに式内大社の官社であった事が記されています。
また、三大実録には清和天皇の貞観元年正月27日(859年)に当神社に正五位を贈られ勅使が参向して幣帛を奉納とあり神社縁起の上からもまことに古い歴史を持つ由緒深いお社です。
摂社當麻都津比古神社の祭神麻呂子皇子は用命天皇の皇子で聖徳太子の異母弟にあたり、當麻氏の先祖とされています。當麻寺を創建したこの地の豪族當麻氏の氏神として男女二神をお祀りしております。延喜式神明帳に式内小社と記載されています。

社頭掲示板



当麻山口神社 大月次新嘗

当麻は前に同じ、山口は夜麻久知と訓べし、〇祭神山神大山祇命○高雄寺山口薬師堂西に在す、今新宮と称す、(大和志、同名所図会山口村トアリ)〇式一(四時祭上)祈年祭條に、当麻山口加馬一匹、』同三、(臨時祭)祈雨祭神八十五座(並大)云々、当麻山口社一座、」猶夜支布山口の下見合すべし、
類社
山城國愛宕郡加茂山口神社の下見合すべし、当國十三箇処あり、
神位
三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和國從五位下当麻山口神正五位下、
官幣
三代実録、貞観元年9月8日庚申、大和國当麻山口神、遣使奉幣、為風雨祈焉、

神社覈録



山口(坐)神社

やまぐち(にます)じんじゃ 『延喜式神名帳』に大和国には夜支布・伊古麻・巨勢・鴨・当麻・大坂・吉野・石村・耳成・都祁の山口神社と長谷・忍坂・飛鳥・畝火の山口坐神社が見え、いずれも大社で祈年・月次・新嘗の官幣に預かり、また山城国には賀茂山口神社がみえる。四社のみ坐神社となっているのを、乾健治は地名を示すためか皇居に近いことを意味しているかであろうという。『延喜式四時祭』には、甘樫・飛鳥・石村・忍坂・長谷・吉野・巨勢・賀茂・当麻・大坂・膽駒・都祁・養生などの山口には各馬一匹を加えよとあり『延喜式神名帳』にない甘樫の名がみえる。『延書式祝詞』の祈年祭・月次祭に「山口に坐す皇神等の前に白さく、飛鳥・石村・忍坂・長谷・畝火・耳無と御名をば白して……皇御孫の命の瑞の御舎を仕え奉りて……四方の国を安国と平らけく知ろし食すが故に、皇御孫の命のうづの幣帛を称へ辞竟へ奉らくと宣ふ」とあり、広瀬大忌祭に「倭国の六御県の山口に坐す皇神等の前にも、皇御孫の命のうづの幣帛を……奉る。かく奉らば、皇神等の敷き坐す山々の口より、さくなだりに下し賜う水を……」とある。『延喜式臨時祭』の祈雨神祭に巨勢・賀茂・当麻・大坂・膽駒・石村・耳成。養生・都祁・長谷・忍坂・飛鳥・献火・古野の山口神社が預かっている。これらのことより、宮殿造営のため御料林伐採の際、山口に坐す神を祀ったこと、山口の水を司る神として、また祈雨神として奉祀されたことがわかる。神階は『三代実録』貞観元年(859)に『神名帳』にみえる14社の山口神社中、夜支布山口神に正五位上、その他13社の山口神に正五位下の昇叙がみえる。
▼当麻山口神社 奈良県北葛城郡当麻町当麻、旧村社。天津彦火瓊瓊杵命・大山咋命・木花佐久夜比当スを祀る、十六村の郷社で境内に、延喜式内の当麻都比古神社が鎮座する。例祭9月22日。

神社辞典



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