伊邪那岐神社
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   【延喜式神名帳】伊射奈岐神社 大和国 葛下郡鎮座

   【現社名】伊邪那岐神社
   【住所】 奈良県北葛城郡上牧町下牧512
       北緯34度34分29秒,東経135度42分26秒
   【祭神】伊邪那岐命 (配祀)天児屋根命 応神天皇 住吉三柱神 倉稲魂命
   【例祭】7月16日 夏季例祭 10月16日 秋季例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創立年代等、不詳
       貞観元年正月27日従五位上
       明治7年(1875)村社
       明治40年(1907)神饌幣帛料供進の指定村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】もと東田口の忍山(しのんやま)にあつた
        静寂の聖地を求めて現在地に移したというが、移転の時期は不詳
        旧地は現在の片岡台三丁目あたりとされているが詳細位置不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「五社神」と称す
   【社殿】本殿桧皮葺一間社流造
       拝殿

   【境内社】

大字下牧の字東田口に忍山という山があつた。現在は団地住宅化してしまつたが、独立した丘陵の中央部の頂上が平地になつている。それが伊邪那岐神社の旧社地であつたという。それを五社の宮といつていた。
集落から離れてた山頂にある。この付近は片岡城跡。道細くわかりにくい場所である。
足利の末期に片岡国春がここに片岡城を築いたときに春日、八幡の両神を守護神としてまつった。


伊邪那岐神社

下牧と金富との間に横たわる山の頂にあり、祭神は伊邪那岐命です。
主神の伊邪那岐命を中央にして、相殿とし春日、八幡、住吉、稲荷の神をまつっています。もと指定村社で、町内の神社では格式が高いとも言われていました。
神殿は流れ造りで明治12年(1879)の造営で昭和43年(1968)に改築されています。もと東田口の忍山(しのんやま)にありましたが疫病が流行したので静寂の聖地をもとめて現在の地に移したといわれています。
旧地は現在住宅化している丘陵の中央で頂上が平地になっていました。そのころは五社神社と言われていたようです。
また足利の末期に片岡国春がここに片岡城を築いたときに春日、八幡の両神を守護神としてまつったという言い伝えもあります。
『延書式巻九』の神名帳には、「葛下郡伊邪奈岐神社」と書かれている神社がこれではないかといわれています。
また『大和国町村誌集』には「下牧、神社、伊邪奈岐神社」とあり、明治24年の『神社明細帳』にも「伊財奈岐神社」とかかれていますが、今は伊邪那岐神社と書いています。
境内に末社はありませんが石灯篭が数多く並んでいて、信仰の篤さを示しています。その石灯篭の中には寛文年号のものもあります。

上牧町HP



伊邪那岐神社

創建年代不詳、もと東田口(ひがいだぐち)の忍山(しのんやま)にあったが疫病が流行したので静寂の地を求めて現在地に移したという。(移転の時期は不詳)旧地は住宅化して(現在の片岡台三丁目あたり)その頃は五社神社といっていた。また足利時代の末期に片岡新助がここに城を築き春日、八幡の両神を守護神として祭ったという伝承がある。
社殿は流れ造りで明治12年の造営。昭和43年改築されている。
「延喜式巻九」の神名帳に「葛下郡伊邪奈岐神社」とある。社号表に「延喜式内伊邪那岐神社、春日大社宮司三条実謹書」裏に「昭和46年1月吉祥日」と刻んである。 「村史」(明治14年調べ)には「延喜の時大社タリシニ明治5年郷社トナリ明治7年式内の村社ニ列セラル」とある。
境内に石灯籠が数多く立ち信仰の篤さを示している。その中に寛文年号のものもある。

社頭掲示板



伊射奈岐神社

伊射奈岐は假字也〇祭神明か也○下牧村に在り、(大和名所図会)今五社と称す、其古宮趾在忍山東(大和志)、
類社
伊勢國度會郡伊佐奈岐宮の下見合すべし
神位
三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和國從五位下伊射奈岐神從五位上、(此時ノ序次、皆月次新嘗ノ社ノミ、サレバ添下郡ノ社ト力、祭事記、比保古、添下郡ノ社一処トシテ、葛下城下ノ社ニヒカズ、
連胤按るに、伊射奈岐神社、当國添下郡、葛下郡、城下郡等三社あり、然るに此度の加階郡を載せず、故に暫三所に挙て後勘を待つのみ、

神社覈録



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