志都美神社
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   【延喜式神名帳】志都美神社 大和国 葛下郡鎮座

   【現社名】志都美神社
   【住所】奈良県香芝市今泉592
       北緯34度33分36秒,東経135度41分48秒
   【祭神】天児屋根命 誉田別命 底筒之男命
   【例祭】9月9日 秋季大祭
   【由緒】詳細は不詳
       明治6年(1874)4月村社
       明治40年(1907)9月、神饌幣帛料供進の神社

   【関係氏族】片岡氏
   【鎮座地】古く現地東北0.8Kmの上中に鎮座との伝

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八幡」と称す
   【社殿】本殿三間社流造銅板葺
       祝詞殿・渡殿・拝殿・絵馬殿・手水舎・宝庫・社務所

   【境内社】太神宮社・稻荷神社(二社)・祓殿神社

武烈天皇磐杯丘北陵の南東に接する。社殿は南を向いているが参道は東へ100m程続いている、この参道の鳥居を北へ歩くと武烈陵にでる。
鎌足の4世の孫従四位民部少輔片岡綱利により弘4癸巳年(813)片岡家の鎮守として創立される。当時は清水神社と称した。
社伝では「古くは、「鹿葦津姫命」を鎮祭したが、何時の程にか現行の三神と成つた」
神仏分離令の出る当時まで明王院という神宮寺(眞言宗)があり、今の社務所の位置に寺院があつたといわれている。
志都美神社の社殿背後に広がる森(社叢)が、貴重な自然が保たれているということで、奈良県の天然記念物に指定されている。


延喜式内志都美神社

御祭神
天児屋根命 中筒男命 誉田別命
創建
弘仁4年癸巳羊8月9日〔今から約1180年前)大職官冠藤原鎌足六世の孫従四位民部少輔片岡綱利により創建された古社である。
社殿
本殿三間社流れ造銅板葺・拝殿は唐破風向拝を持つ機呉葺・他に祭具殿・社務所絵馬殿
志都美神社は香芝市今泉に位置するが江戸時代には上里村・中筋村・今泉村・高村の五ケ村の氏神であり厚い信仰をあつめていた 特に明治13年8月にコレラが流行適行し氏子が氏神侵入防止を訴願した結果ひとりの患者も出なかったのを喜んだ人々が官社の意味で本殿背後石垣に「明治十二年八月虎列拉病流行氏子祈願無一人患者無人歓呼奉納」ときざみ奉納した記念碑がある 日本ヘコレラが最初に侵入したのは文政5年で第二次流行の安政5年は日本中をコレラ流行禍にまきこみ死看28000人に達した。明治に入ってから同12年に全国に流行しての余波が12年にまで及んだという。死者が出ないということは本当にめずらしくご神徳がうかがえるまた本神社の神宮寺として清水山明王院が明治の神仏分離令が出るまであり現在明王院という石灯篭が一基のこっている。
ある日盲目の法師が境内にある井戸で目を洗うと水の霊験で目があいたという伝説がありそれゆえ一時期清水八幡宮と呼ばれた時代があった。今も手水舎の石に八幡宮の文字が残っている。
本殿裏の社そうは椎の木を中心とした原生林で県指定の天然紀念物となっている。万葉集(巻71.9)に「片岡のこの向う峰に椎蒔かば今年の夏の陰にならむか」とある。 椎の原生林とかさね合せばこの附近ではないかと思われる。歌碑は神社参道入口右側にある。
摂社
祓戸大神 稲荷大神 奥之稲荷社 天照皇大神

由緒書



志都美神社の社そう

(奈良県指定・天然記念物)
志都美神社は『延喜式』に記される式内社です。本殿は三間社流造で、江戸時代中期の建立と考えられます。元禄年間(1688〜1704)に盲目の僧侶が境内で湧いていた清水で目を洗って霊験があったとの伝承があり、江戸時代の『大和志』や『大和名所図絵』などに「清水(志都美)八幡」として紹介されています。境内の石鳥居や手水鉢にも「清水八幡」と刻まれています。
天文22年(1553)3月、右大臣の三条西公条(さんえだ)と連歌師(れんがし)の里村紹巴(じょうは)が高野山・吉野からの帰途、同社の神宮寺「片岡清水明王院」で一夜を明かしたことが『吉野詣記』に記されています。明治の神仏分離で廃寺となりましたが、鎌倉時代の作風を遺す「石造浮彫不動明王立像」(香芝市指定文化財)は近くの念通寺に移されています。社殿の背後に広がる森(社そう)は北にある武烈天皇陵の樹そうと一体となって、自然林として残されています。巨樹は少ないのですが、見事な林相が形成されていて、学術上きわめて貴重な自然が保たれています。
平成12年3月      香芝市教育委員会

社頭掲示板



虎列拉記念碑

本殿裏手の石垣に虎列拉記念碑がある。
志都美神社は香芝市今泉に位置するが江戸時代には上里村・中筋村・今泉村・高村の五ケ所の氏神であり厚い信仰をあつめていた。特に明治13年8月にコレラ流行し氏子が侵入防止を祈願した結果ひとりの患者も出なかったのを喜んだ人々が感謝の意味で本殿背後石垣に「明治十二年八月虎列拉病流行氏子祈願無一人患者無人歓呼奉納」ときざみ奉納した記念碑がある。



式内社 志都美神杜(今泉)

志都美神社は、弘仁4(813)年、従四位民部少踊片岡綱利が宮を片岡に造り、片岡家の鎮守として創建され、往古は清水神社と称されていたことが社伝に見えます。現在の本殿は三間社流造で、江戸時代中期の建立と考えられ、天児屋根命・中筒男命・誉田別命が祀られています。
江戸時代の元禄年間(1688〜1704)、盲目の僧侶が境内に湧いていた清水で目を洗って霊験があつたとの伝承があります。そのため、『大和志』や『大和名所図会』には「清水八幡」として紹介され、境内の石鳥居や手水鉢にも「清水八幡」と刻まれています。
また、境内には神宮寺の明王院がありました。天文22(1553)年3月、三条西公条の『吉野詣記』には高野山・吉野参拝からの帰途、「片岡清水明王院」で一夜を明かしたことが記されています。明治期の神仏分離令で廃寺となりましたが、近くの念通寺には鎌倉時代の不動石仏(市指定文化財)が、万善寺(上中)には木造阿弥陀如来坐像が遷されています。
なお、神社の背後に広がる森(社そう)は県の天然記念物に指定され、北の武烈陵の樹そうと一体となつて自然林として残されています。巨樹は少ないですが、見事な林相が形成されていて、学術上きわめて貴重な自然が保たれています。
平成22年3月
香芝市教育委員会

社頭掲示板



志都美神社

志都美は假字也〇祭神詳ならず○上里村に在す、今志都八幡宮と称す、(大和志、同名所図会)、
類社
但馬國七美郡志都美神社二座

神社覈録



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