金村神社
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   【延喜式神名帳】金村神社(大 月次/新嘗) 大和国 葛下郡鎮座

   【現社名】金村神社
   【住所】奈良県葛城郡市大屋213
       北緯34度29分4秒,東経135度42分41秒
   【祭神】大伴金村
       『神社覈録』「祭神詳ならず」
       『大和志料』「祭神詳ナラズ」

   【例祭】10月12日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】安閑天皇2年(535)11月12日、大伴金村公の霊を勧請した
       貞観元年正月27日從五位上
       明治6年(1873)4月村社

   【関係氏族】不詳(大伴氏)
   【鎮座地】鎮座地移転の記録はない

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】
   【社殿】本殿春日造銅板葺
       ブロック塀で囲まれた中に南面して、本殿だけがある

   【境内社】稻荷社・嚴島社

安閑天皇2年に大伴金村の霊を勧請と伝う。荒れて手入れもいき届いていない小社。社名の表示もない。この地は金剛山地の段丘面・扇状地帯である。
当社の前方を流れる川を御手洗川と称し、里俗清祓等に此流水を用い且つ上流に於ても不浄の行爲を避け、此流域を穢すことを堅く忌むの習慣ありと伝う。
ブロック塀で囲まれた中に南面して、本殿だけがある。
祭神大伴金村であるが、大伴氏との関連は不詳である。
志賀剛氏は「金村はキンムラで木叢のこと」としており、木叢→金叢→金村と変わったか。ただしこの地に「キンムラ」の称はない。


金村神社

新庄町立中央公民館、屋敷山公園の裏手(西側)に鎮座の社を、式内大社の金村神社にあてられている。
社伝では、大伴金村公の霊を、安閑天皇2年(532か)に勧請したという。金村公は、6世記前半に活躍した人で、武烈天皇から欽明天皇に至る間、大連として朝廷に仕えたが、朝鮮経営に失敗、物部氏の糾弾で失脚した。
大正4年(1915)の神社明細帳に、往古は数十ケ村の氏神として崇敬され、境界も八丁(約800m)四方に及んで、一の鳥居は南葛城郡忍海村脇田にあり、今なお其の沓石が残存していると記している

奈良県史



金村神社 大月次新嘗

金村は加奈牟良と訓べし○祭神詳ならず○大屋村に在す、(大和志、同名所図会)、
神位
三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和国從五位下金村神從五位上、

神社覈録



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