安閑天皇2年に大伴金村の霊を勧請と伝う。荒れて手入れもいき届いていない小社。社名の表示もない。この地は金剛山地の段丘面・扇状地帯である。 当社の前方を流れる川を御手洗川と称し、里俗清祓等に此流水を用い且つ上流に於ても不浄の行爲を避け、此流域を穢すことを堅く忌むの習慣ありと伝う。 ブロック塀で囲まれた中に南面して、本殿だけがある。 祭神大伴金村であるが、大伴氏との関連は不詳である。 志賀剛氏は「金村はキンムラで木叢のこと」としており、木叢→金叢→金村と変わったか。ただしこの地に「キンムラ」の称はない。 |
金村神社 新庄町立中央公民館、屋敷山公園の裏手(西側)に鎮座の社を、式内大社の金村神社にあてられている。 社伝では、大伴金村公の霊を、安閑天皇2年(532か)に勧請したという。金村公は、6世記前半に活躍した人で、武烈天皇から欽明天皇に至る間、大連として朝廷に仕えたが、朝鮮経営に失敗、物部氏の糾弾で失脚した。 大正4年(1915)の神社明細帳に、往古は数十ケ村の氏神として崇敬され、境界も八丁(約800m)四方に及んで、一の鳥居は南葛城郡忍海村脇田にあり、今なお其の沓石が残存していると記している 奈良県史 |
金村神社 大月次新嘗 金村は加奈牟良と訓べし○祭神詳ならず○大屋村に在す、(大和志、同名所図会)、 神位 三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和国從五位下金村神從五位上、 神社覈録 |