近世は春日神社と称す。一事尼古の神名は不明だが一言主神と考えられる。太田川の東岸の平地に鎮座する。 |
由緒 調田坐一事尼古神社 從五位上 1.御祭神 一事尼古大神、事代主大神 1.御由緒 創立年代は不詳ですが、延喜式神名帳に記され古く奈良朝以前から祀られた由緒ある式内大社で、近郷村民の崇敬神社として厚い信仰を集めています。 1.御神徳 一事尼古大神の尼古とは高貴な男神を示し、古来一つの願い事なら必ずかなえてもらえる一願成就の神様として崇敬されています。事代主大神は農耕の発展を始め、商工業の守護神、厄除け開運、学業成就に御神徳厚い神様です。 1.四季の祭り 3月6日 祈年祭、おんだ祭り 7月15日 夏祭り、夏越の祓いの祭り 10月八日 御例祭、17日秋祭り神幸祭 12月6日 新嘗祭、新穀感謝祭 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
由緒書 一願成就の神様として崇敬を集める 式内大社 調田坐一事尼古神社略記 ・御祭神 一事尼古大神 事代主大神 ・鎭座地 奈良県北葛城郡新庄町大字疋田四〇二 【御由緒】 創立年月日は不詳ですが、延喜式神名帳に「葛下郡、調田坐一事尼古神社、大、月次、新嘗」と記された式内大社です。(延喜式神名帳とは、平安時代に全国数萬の神社より、特に霊験のあらたかな神社を記載されたもので、大とは大社のことです。祈年祭、月次祭(6月、12月)新嘗祭の都合四度祭は幣帛を奉られた式内大社です。) 新抄格勅符抄に神護景雲四年(奈良時代)神封二戸(大和で一戸、播磨で一戸)を充奉られた旨の記載があり、また三大実録(平安時代)に「清和天皇貞観元年(895年)正月27日甲申奉授大和国従五位下調田坐一事尼古神従五位上」とあり、奈良朝以前から祀られた由緒ある神社です、以来沿革は不詳ですが、安政4年(1775年)拝殿を改築し、文久元年7月、馬場を開設し、同2年6月石の鳥居を建設し、その後、石燈籠、狛犬、絵馬などが奉納され境内の充実を見るに至った。 明治6年4月村社に列し、同40年9月24日神饌幣帛料供進の神社に指定され、近郷村民の崇敬神社として篤い信仰を集めています。 【御神徳】 一事尼古大神の尼古とは高貴な男神を示し、一言主神と同神なりや、「古事記」には雄略天皇が葛城山に狩に行かれたとき、一言主神が顕現され「吾は悪事も一事、善事も一言に言いはなつ神なり」と云われ、一言で願えること、一つの願いごとなら何んでもかなえてもらえる古来、一願成就の神様として崇敬を集める。 事代主大神は恵美須神の御名で世に広く知られ、遠く神代の昔平和と円満を旨とされた大国主神の御子で国譲り(国土開拓)の大業を助け、率先して、皇孫をお守りになり、農耕の発展をはじめ、あらゆる商工業の守護神、厄除開運、治病、学業、交通安全、商売繁昌等、人間生活の幸福を増進することをはかられた神であります。 国譲りにおける誠の精神の具現により、農耕の発展とともに、今日の疋田の繁栄を予知啓示せられた御鎮座の由来はまことに深遠なる御神徳と申すべく、すべての物事を照覧し給う広大無辺の御神徳を福徳円満の神として仰ぎ、又一願成就の神として崇敬され、拝殿の中には、文久元年(1861年)の古い絵馬から現代のものまで、氏子の「ひと言」の願いが託され数多くの絵馬が奉納されています。 由緒書 |
調田坐一事尼古神社 疋田集落の中央に鎮座の社を延喜式内大社に比定されている。創祀年代について、『新抄略勅符抄』に称徳天皇の紳護景雲4年(770)に、槻田神に播萬(磨)国に一戸、大同元年(806)大和国に一戸とあって計二個の神戸を受けていることから、この頃以前創祀の古社であることがわかる。『三代実録』貞観元年(859)正月27日に従五位下から従五位上に、神階を進められている。延喜の制では、大社に列して月次新嘗祭に案上官幣に預かった。一言尼古命を祀る。社伝では、『記』『紀』の雄略天皇の条に出る悪事も善事も一言との一言主神と同紳としている。 鎮座地の小字名が、堂ノ内で永勝寺と称する官寺があったと伝えるが、かってこの社の神宮寺であったことは確かである。寛文13年(1673)の「御宮田之日記」があるが、これによると、古くから正月・3月の二度、宮座が行われていたことがわかる。 奈良県史 |
調田坐一事尼古神社 大月次新嘗 調田は都岐太、」一事は比登古止と訓べし、尼古は假宇也、〇祭神明か也○匹田村に在す、今春日と称す、(大和志、同名所図会) 神位 三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和國從五位下調田一導尼古神從五位上、 神社覈録 |