葛木倭文座天羽雷命神社
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   【延喜式神名帳】葛木倭文坐天羽雷命神社(大 月次/新嘗)大和国 葛下郡鎮座
   【延喜式神名帳】葛木二上神社 二座(大 月次/新嘗) 大和国 葛下郡鎮座

   【現社名】葛木倭文座天羽雷命神社
   【住所】奈良県葛城市加守1045
       北緯34度31分51秒,東経135度41分18秒
   【祭神】天羽雷命 (配祀)天忍人命 大国魂命
   【例祭】10月17日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】貞観元年(859)正月27日甲申 從五位上『三代実録』
       大同元年〈806〉倭文神廿三戸『新抄格勅符抄』
       享保年間(1716〜36)の検地帳加守村の條に五社明神天神
       慶長元年(1596)12月社殿再興
       明治6年(1873)村社
       明治40年(1907)神饌幣帛料供進の指定村社に列せられた

   【関係氏族】倭文氏・蟹守氏
   【鎮座地】当初からの鎮座地である

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「加守明神」と称す
   【社殿】本殿唐破風付流造、桧皮葺三間社
       拝殿・祝詞舎・社務所

   【境内社】諏訪神社・天神社

二上神社口駅より山頂への道を真直ぐ 加守の集落をのぼりつめた丘陵上に東面して鎮座する。神域は二上の西山麓にある。
相殿神として掃守神社(祭神天忍人命)と二上神社(祭神大国魂命)を祀る。三間社造本殿の中、中央に天羽雷命、右に掃守神社、左に二上神社を配祀している。
倭文神社は多くの国々に祭られているがその根本の神と言われて来た。倭文は文布で、子孫も倭文氏とし諸国に機織と裁縫の術を伝えた。
代々蟹守氏が宮司となっている。新撰姓氏録の「左京神別中」「天神」に掃守連とある。
天忍人命は、彦波渚武鵜草葺不合命ご生誕に当り、胎便(俗に蟹という)を始末されたことより、蟹守、その清掃の様より掃守ともいう氏の組となられた。つまりは蟹守氏の氏神といえよう。
相殿にまつる摂社二上神社は、大国魂命をまつるが、由緒沿革は詳かでない。
 元々、葛木二上神社の分霊をまつる神社だったか、あるいは太古神体山(神奈備山)としての二上神社を山麓のこの地から拝んでいたが、後世になってから社殿を山頂に造営されたとも考えられるが確証はない。しかし、今山頂にまつる葛木二上神社と一体の神社だったことはたしかである。


葛木倭文坐天羽雷命神社

倭文神社 衣料の始祖、倭文は染織の儀、紡織、養蚕、メリヤス等すべて糸を生業とする人は是の大神に帰依して事業の隆昌を賜るべし。
加守神社 産育の始祖その職号を蟹守と言う、カニは香泥即ち胎児の垢、後世掃部、加守、狩森、鴨田等の名あるはすべて蟹守の転訛、産科育児等にたづさわる人は祖神の居ます加守の地を第二の故郷として、しばし帰参去るべし。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




葛木倭文座天羽雷命神社

祭神 倭文の祖 天羽雷命
天羽雷命は、古書によると、天照大神の荒衣和衣の御衣を織り、天孫降臨の時、御衣織として共に降臨、機織の術を授けられた神です。
伊勢、駿河、伊豆、甲斐、近江、上野、丹後、但馬、因幡、伯耆などの国々に祭られているがその根本の神と言われて来た。
倭文は文布で、子孫も倭文氏とし、諸国に機織と裁縫の術を伝えた。

加守(掃守)神社
祭神 掃守の祖、天忍人命(産育の祖)
古語拾遺に、神武天皇の御父、鵜草葺不合命の生まれます時、海辺に宮室(産室)を建て箒を造り蟹を掃ふ、是を以て蟹守と言ふ
中古、掃部の職は、この神より出たものです。
蟹守、加守は祓いの意であり、この氏族は機織と共に全国に散在している。

社頭掲示板



葛木倭文坐天羽雷命神社 大月次新嘗

葛木は郡名に同じ、倭文は志都里、天羽雷は阿女乃波豆智と訓べし、○祭神明か也〇岡荘加守村に在す、今加守明神と称す、(大和志、同名所図会)〇日本紀神代巻下云、遣倭文神建葉槌命者則服、』旧事紀(神祇本紀)令倭文遠祖天羽槌雄神織文布者云々、」古語拾遺云、天羽槌姫神、倭文遠祖也、
神位
三代実録貞観元年正月27日甲申、奉授大和國從五位下葛木倭文天羽雷命神從五位上、
雑事
式廿一、(玄蕃)凡新羅客入朝者、給神酒、其醸酒料、大和國倭文社、三十束、送住道社、(全文当國葛上郡高鴨神杜の條見合すべし)

神社覈録



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