近世は巨勢山口神社の若宮で「小官さん」と称す。中学校の裏、線路に沿った境内の小祠。 本社は俗に宇久比須宮と称するが、それはクモグシがウグイスと転訛したのだといい、本社が雲櫛社であり、延喜式の大倉比売神社であるといわれる。 伝承に依ると、この古瀬の大倉比売神社が戸毛に流れたという。 『葛村史』『大和志』『大和志料』は当社とする。 『御所市史』(「式内社考」志賀剛博士説)には、当社を許世都比古命神社に比定している。 江戸時代は巨勢山口神社(御所市)の若宮だった。 |
大倉姫神社 祭神:大倉比売命 本殿:春日造、方二尺五寸。流板葺の小祠であるが、由緒ある神社と思われる。 『延喜式神名帳』に大倉比売神社。一は雲櫛社と名くとある。 本社は俗に宇久比須宮と称するが、それはクモグシがウグイスと転訛したのだといい、本社が雲櫛社であり、延喜式の大倉比売神社であるといわれる。 大倉比売は大巳貴神の御子下照姫の別名で『旧事記』その他に下照比売を葛上郡雲櫛社に祀るとしている。 御所市史 |
大倉姫神社 古激の曽我川西岸に鎮座する小祠とし、明治3年一応この神社を式社と治定した。しかし、志賀剛氏は「式内社の研究」でこの神社は、許世津比古神社にあてるべく、当式内社は戸毛宮にあてるべきだといっている。 両社とも同社名で、祭神も同じ大倉姫命としている。伝承では、古瀬の大倉比売神社が戸毛に流れてきたとの説もあるが、何れにしても断定し難い。例祭8月25日。 奈良県史 |
大倉比売神社 一名雲櫛社 大倉は於保久良と訓べし、比売は假字也、〇祭神明か也○巨勢河合村に在す、今宇久比須宮と称す、(大和志、同名所図会)○旧事紀、(地神本紀)大己貴命、先娶坐宗橡奥都島神田心姫命、生児下照姫命、(坐倭國葛上郡雲櫛社)古事記(神代段)阿遅鋤高日子根神、妹高比売命、亦名下光比売命、 連胤按るに、大倉比売とあるも、下照姫の別名なるべし、然れどいまだ其証は得ず、さはいへ次に高彦根命神社あれぱ、由縁ふかく聞ゆ、分注一名雲櫛社の五字は、兼永卿本、古印本等の無き方に從ふべし、 神社覈録 |