鴨山口神社
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   【延喜式神名帳】鴨山口神社(大 月次/新嘗) 大和国 葛上郡鎮座

   【現社名】鴨山口神社
   【住所】奈良県御所市櫛羅2428
       北緯34度27分40秒,東経135度42分54秒
   【祭神】大山祇命 (配祀)大日霊大神 御霊大神
   【例祭】7月16日 夏季大祭 10月16日 秋季大祭
   【社格】旧村社 延喜式祈雨祭神八十五座の一座
   【由緒】貞親元年(859)正月27日甲申正五位下『三代実録』
       貞観元年(859)9月8日庚申遣使奉幣、爲風雨祈焉 『三代実録』

   【関係氏族】
   【鎮座地】旧社は現在地の西方、大字櫛羅猿目上方、俗称「岸野山」にあつたと伝承する

   【祭祀対象】山・山口
   【祭祀】社名の変化はなかったか
   【社殿】本殿 一間社春日造
       拝殿・社務所

   【境内社】桜木社・金比羅神社・八幡社・春日神社・椿山神社・天満社・天照皇大神宮

延喜式祈雨祭神八十五座の一座に挙げられている。
もとは西北の俗称岸の山に鎮座していたが天災起り山岳崩れてこの地に奉られたという。
延喜式祈雨祭神八十五座の一座に挙げられ、「延喜式神名帳」には、山口社は十四社あるがその内葛上郡の鴨山口神社が本社であるとされている。
この地は古代の大和湖の船着き場だったのかも知れない。
藤原時代前期(800年代)とされる木造座像あり、大日霊貴は56cmで衣冠を付け、御霊大神は女神とされ50cmで共に重文(国宝)に指定されている。


由緒

葛城山麓の扇状地、櫛羅大港に位置する本社は、古くから朝廷に皇居の用材を献上する山口祭を司った由緒深い神社であります。
御祭神は大山祇神、大日霊命、御霊大神、天御中尊をお祀りしています。
「延喜式神名帳」には、山口社は十四社あるがその内葛上郡の鴨山口神社が本社であるとされており、即ち式内の大社として格式高い神社であります。
本殿は春日造桧皮葺(八尺に七尺)であり、拝殿は瓦葺(五間に二間)。本殿に安置されている大日霊貴命坐像・御霊大神坐像は、国の重要文化財に指定されております。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




鴨山口神社

葛城山麓の扇状地、櫛羅大港に位置する本社は古くから朝廷に皇居の用材を献上する山口祭を司った由緒深い神社であります。
御祭神は大山祇神、大日霊命、御霊大神、天御中尊をお祀りしています。
「延喜式神名帳」には、山口社は十四社あるがその内葛上郡の鴨山口神社が本社であるとされており、即ち式内の大社として格式高い神社であります。
本殿は春日造桧皮葺(八尺に七尺)であり、拝殿は瓦葺(五間に二間)。本殿に安置されている大日霊貴命坐像・御霊大神坐像は、国の重要文化財に指定されております。
平成元年11月吉日
寄贈 御所ライオンズクラブ

社頭掲示板




鴨山口神社(かもやまぐちじんじゃ)

鴨山口神社は御所市櫛羅の県道御所香芝線(山麓線)沿いに鎮座し、祭神は大山祗命(おおやますみのみこと)・大日霎貴命(おおひるめのみこと)・御霊大神(みれいおおかみ)・国常立命(くにとこたちのみこと)を祀り、祈雨祭・祈年祭の神で三代実録によれば、風雨を祈るため奉幣されているという。昔は現在地よりも西に鎮座していて猿目垣内の岸野山と伝えられ、また、下鴨社(鴨都波神社)に対して、上津賀茂とも呼ばれていました。
 木造大霎貴命座像・木造御霊大神座像の二体は、室町期に造られた一木造彩色像で、国の重要文化財に指定されています。なお、神社東南部、小字天田から昭和25年、人物文様のある高さ45cmの銅鐸が出土し、県立青翔高等学校に保管していましたが、火災によって現在は所在不明となっています。また、その昔に鎮座していたという岸野山には江戸後期の櫛羅藩陣屋跡(櫛羅城跡)が現存していて、山上に本殿跡の他城門礎石、山下に堀、合宿所跡、軍器鍛治工場などが「南葛城郡誌」の挿図に示されています。

御所市HP



鴨山口神社

神社の創立は不詳ですが、記録によりますと以前は当神社西北方俗称岸ノ山に鎮座なされておったのが天災起こり山岳崩れて今の此の地に奉られたと記されております。
貞観元年(平安時代859年から877年)第57代清和天皇の御代に正五位を授けられており、その当時すでに神社が創立され奉られていた事が推察されます。
御祭神の大山祇神は山の神とされています。これは葛城山の入り口に鎮座し当時の住民が重要な作物である稲作造りに必要な雨・風を神に願う気持ちが山の入口にそれを治める神として奉られたものと思われます。
また、御相殿に配祀奉る大日霎貴命・御霊大神は、昭和24年2月文部省より国の重要文化財に指定を受けその造りは木造で姿は座像で大日霎貴命は衣冠を付けられて大きさは56センチです。御霊大神の方は女神とされ大きさは50センチです。尚、造られた時代は藤原時代前期(西暦800年代)の作とされています。

由緒書



山口(坐)神社

やまぐち(にます)じんじゃ 『延喜式神名帳』に大和国には夜支布・伊古麻・巨勢・鴨・当麻・大坂・吉野・石村・耳成・都祁の山口神社と長谷・忍坂・飛鳥・畝火の山口坐神社が見え、いずれも大社で祈年・月次・新嘗の官幣に預かり、また山城国には賀茂山口神社がみえる。四社のみ坐神社となっているのを、乾健治は地名を示すためか皇居に近いことを意味しているかであろうという。『延喜式四時祭』には、甘樫・飛鳥・石村・忍坂・長谷・吉野・巨勢・賀茂・当麻・大坂・膽駒・都祁・養生などの山口には各馬一匹を加えよとあり『延喜式神名帳』にない甘樫の名がみえる。『延書式祝詞』の祈年祭・月次祭に「山口に坐す皇神等の前に白さく、飛鳥・石村・忍坂・長谷・畝火・耳無と御名をば白して……皇御孫の命の瑞の御舎を仕え奉りて……四方の国を安国と平らけく知ろし食すが故に、皇御孫の命のうづの幣帛を称へ辞竟へ奉らくと宣ふ」とあり、広瀬大忌祭に「倭国の六御県の山口に坐す皇神等の前にも、皇御孫の命のうづの幣帛を……奉る。かく奉らば、皇神等の敷き坐す山々の口より、さくなだりに下し賜う水を……」とある。『延喜式臨時祭』の祈雨神祭に巨勢・賀茂・当麻・大坂・膽駒・石村・耳成。養生・都祁・長谷・忍坂・飛鳥・献火・古野の山口神社が預かっている。これらのことより、宮殿造営のため御料林伐採の際、山口に坐す神を祀ったこと、山口の水を司る神として、また祈雨神として奉祀されたことがわかる。神階は『三代実録』貞観元年(859)に『神名帳』にみえる14社の山口神社中、夜支布山口神に正五位上、その他13社の山口神に正五位下の昇叙がみえる。

神社辞典



鴨山口神社 大月次新嘗

鴨山口は前に同じ〇祭神山神大山祇命○倶戸羅村に在す、(大和志)○式一(四時祭上)祈年祭條に、賀茂山口加馬一匹、」同三(臨時祭)祈雨祭神八十五座(並大)云々、賀茂山口社一座、」猶高市郡甘樫社の下見合すべし、
類社
山城國愛宕郡賀茂山口神社の下見合すべし、常國十三箇処あり、
神位
三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和國從五位下鴨山口神正五位下、
官幣
三代実録、貞観元年9月8日庚申、大和國賀茂山口神、遣使奉幣、為風雨祈焉、

神社覈録



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