国道309号の水越峠への途中の(旧道)水越川沿いにある。谷間に鎮座する。 金剛・葛城の山の水を守る神、田畠の灌概水利を司る神を鎭座する。 『延喜式』祈年祭祝詞では、吉野水分神社・宇太水分神社・都祁水分神社とともに大和国の水分四社の1つとして数えられている。 河内側との間に水利を巡る境界論争が絶えなかったが、元禄15年(1702年)12月20日に、正式に大和側の勝利となった。これを例祭日としている。 |
由緒 本社は御所市関屋に位置し天水分神、国水分神をおまつりしている式内の由緒深い神社であります。大和の国には古くから、吉野・宇陀・都祁・葛木の四水分社があり、本社はその一つで、御祭神の水分神は田畑の潅漑を司る、水にちなんだ農業神であり、尊信も厚く貞観元年(859)正月27日には正五位下に叙せられています。本殿は春日造りで、桁六尺五寸、拝殿は桁梁行が三間、間口一間半であります。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
葛木水分神社 本社は、御所市関屋に位置し天水分神、国水分神をおまつりしている式内の由緒深い神社であります。大和国には古くから吉野 宇陀 都祁 葛木の四切水分社があり、本社はその一つて御祭神の水分神は、田畑の灌漑を司どる水にちなんだ農業神であり、尊信もあつく、貞観元年(859)正月27日には正五位下に叙せられています。本段は春日造りて桁六尺五寸 拝殿は桁梁行が 三間に一間半てあります。 境内社には春日神社 八幡神社 天満神社 三十八神社 御霊神社 市杵島神社 出雲神社 がありました。 昭和55年1月 御所市教育委員会 御所ライオンズクラブ 社頭掲示板 |
葛木水分神社 名神大月次新嘗 葛木は前に同じ、水分は美久麻理と訓べし、○祭神天水分神○關屋村に在す、(大和志、同名所図会)○式一(四時祭上)祈年祭條に、葛木水分加馬一匹、』同三、(臨時祭)祈雨祭神八十五座(並大)云々、葛木永分社一座、』猶告野水分社の下見合すベし、 類社 当國吉野郡吉野水分神社の下見合すべし、当國四箇処あり、 神位 続日本後紀、承和7年10月己酉、奉授无位水分神從五位下、(此叙位の事、吉野郡吉野水分神社の下見合すべし)三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和国從五位下葛木水分神正五位下、 官幣 三代実録、貞観元年9月8日庚申、大和國葛木水分神、遺使奉幣、為風雨祈焉、 神社覈録 |
水分神社 みくまりじんじや 水分神は、流水を司る神である。「クマリ」は「配り」を意味する。この神は、速秋津日子・速秋津比売二神の御子神とされ、天之水分神と国之水分神の二柱がある。この水分神を奉斎する神社が、水分神社で、『延喜式神名帳』を見ると、大和国に葛木水分神社、吉野水分神社、宇太水分神社、都祁水分神社の四社、河内国に建水分神社、摂津国に天水分豊浦命神社の名が見えている。また『続日本紀』に「吉野水分峯ノ神」、『三代実録』に「安芸国水分天神」とあることから、わが國において、古くより各地に、水分神を奉斎した神社が少なくなかったといえよう。 『延喜式』収載の祈年祭及び六月の月次祭祝詞に「水分に坐す皇神等の前に白さく、吉野・宇陀・都祁。葛木と御名は白して辞竟へまつらば云々」とあり、朝廷により、豊稔を祈請されていたことがわかる。後世、「クマリ」が詑って「コモリ」ともいわれ、子守明神としての信仰をも生むに至った。 ▼葛木水分神社 奈良県御所市関屋。旧村社。天水分神・国水分神を祀る。清和天皇貞観元年(859)正月、正五位下。延喜の制、名神大社に列した。例祭12月20日。 神社辞典 |