長柄神社
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   【延喜式神名帳】長柄神社 鍬靫 大和国 葛上郡鎮座

   【現社名】長柄神社
   【住所】奈良県御所市名柄271
       北緯34度26分23秒,東経135度43分1秒
   【祭神】下照姫命
       長柄首ノ祖八重事代主神『特選神名牒』
       「祭神長柄首祖歟」『神社覈録』
       高照姫命『式内社調査報告』

   【例祭】10月15日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天武紀9年(705)9月の條によると、長柄社で馬を見た
       応永25年(1418)伴田庄注進状に「ナカラノミヤ」『春日神社文書』
       正和元年(1312年)本殿棟札

   【関係氏族】
   【鎮座地】正和元年(1312年)本殿棟札があり、それ以前よりこの地にあった

   【祭祀対象】
   【祭祀】社名の変更もなく、継承してきている
   【社殿】本殿一間社春日造り桧皮葺き丹塗の本殿
       社務所

   【境内社】八坂神社・一言主神社

この地は日本書記神武即位前紀の「臍見の長柄の丘岬」の地に比定されている。
長柄の地名は長江(ながえ)が長柄(ながえ)になり、音読して長柄(ながら)になった。長江はゆるやかく長い葛城山の尾根(丘陵)を意味し、ナガラは急斜面の扇状地に残った古語であるともいわれる。
六国史に神位の記録はない。


由緒

長柄の地名は長江(ながえ)が長柄(ながえ)になり、音読して長柄(ながら)になった。長江はゆるやかく長い葛城山の尾根(丘陵)を意味し、ナガラは急斜面の扇状地に残った古語であるともいわれる。
この神社の祭神は、下照姫命であり、俗称を姫の宮といわれている。
本殿は昭和三十三年三月二十日、奈良県重要文化財に指定された。一間社春日造り、桧皮葺、丹塗の建物である。細部に禅宗様(唐様と称した手法)が見られる優秀な建築である。ここに棟札(むなふだ)が保存されていて、最古のものは正和元年(1312年)鎌倉時代花園天皇の代にあたり、以下十七枚に及んでいる。
建築様式上から正和まで古く見ることは困難であるが、室町中期の頃と推定することができる。軒から屋根に及ぶ材料が新しいのは、後の改修によるものとしても、その他の部分も風蝕が極めて少ないのは、恐らく覆屋で保護されていた為であろうといわれている。
また、手水屋は朝原寺から移したものということである。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




長柄神社

長柄神社は名柄街道と水越街道の交差点に位置しています。祭神は下照姫で、俗に姫の宮と称し「延喜式」神名帳に記されています。日本書紀には天武天皇が天武9年9月9日の条に「朝嬬に幸す。因りて大山位より「以下の馬を名柄杜に看す」と記され、流鏑馬(やぶさめ)をご覧になった事が記されている、由緒ある神社です。本殿は一間春日造、桧皮葺、丹塗で県指定文化財になっています。

御所市観光ホームページ



本殿

一間社春日造。檜皮葺。丹塗の建物。桁行六・六尺、梁間七・六尺、向拝の出五・四尺、上下長押をつけ、正面に幣軸つきの板扉をはめる。三方板壁。頭貫端に木鼻をつけ、斗?は大斗時木、三方に縁をまわし、側面後端に脇障子をおく。正面木階五級、階下に擬宝珠柱を立て、勾欄をめぐらす。前面に濱床を張る。向拝柱、面取角柱、柱間に虹梁を入れ、両端木鼻とし、斗?連三斗組、中備蟇股、主屋との間に繋虹梁を渡し、その上に低い蟇股を入れて、主屋の軒の前端を受ける桁を支える。
主屋の軒は一重疎垂木で、極端に絵様刳形をつけている。
背面では妻を持出しにして、板壁を張っているが、この部分には元板葺構造であった名残りを見せている。弘化四年の棟札によれば、その際屋根厚板葺を檜皮葺に改めたとある。向拝には垂木を用いず、流板の裏を見せており、これらの化粧裏板には彩画されている。背面には破風をつけ、猪目懸魚をつっているが、向拝の組破風は主屋の流板の下で終っている。

御所市史



長柄神社

長柄は奈賀良と訓べし○祭神長柄首祖歟○吐田荘長柄村に在す、(大和志、伺名所図会)○日本紀、神武天皇己未年2月條、臍見長柄丘岬有猪祝者〇姓氏録、(大和国神別)、長柄首、天乃八重事代主神之後也、
類社
河内国若江郡長柄神社
雑事
日本紀、天武天皇9年9月癸酉朔辛巳、幸于朝嬬、因以看大山位以下之馬於長柄社、乃伝馬的射之、

神社覈録



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