於神社
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   【延喜式神名帳】於神社 大和国 広瀬郡鎮座

   【現社名】於神社
   【住所】奈良県北葛城郡広陵町大塚667
       北緯34度32分4秒,東経135度44分4秒
   【祭神】天児屋根命 (配祀)天照皇大神 品陀和気命
       「祭神詳ならず」『神社覈録』
       「祭神埴安姫命」『特選神名牒』
       「於神社(大和国広瀬郡)木俣命」『大神分身類社抄』

   【例祭】
   【社格】旧村社
   【由緒】元慶7年(883)従五位下
       享保7年(1722)再建
       延享3年(1746)修繕
       明治6年(1873)村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】同名の社が讃岐国苅田郡に一社あり
        讃岐人の移住に伴つて同郡内の於神社も同時に勧請

   【祭祀対象】 
   【祭祀】江戸時代は廃社
   【社殿】本殿流造
       拝殿・御手洗舎

   【境内社】

平地。街中の神社。 亨保ごろ「すでに廃」とあり。広瀬神社の末社水分神社をあてる説もある。讃岐にも同名社あり讃岐神社との関連もあると思われる。
讃岐人の移住に伴つて同郡内の於神社も同時に勧請されて、同名社として広瀬郡に祀られるようになつたものであろう。
既に『大和志』に廃社になつていと記されているので、現在この社を於神社に当ててはいるものの、その後の指定であつて、当社をもつて往古以來の古社であるかどうかは疑わしい点がある。


於神社

この神社は、旧広瀬郡に延喜式内神社が五社ある内の一社であって、延喜式四時祭によると、毎年の祈年祭(トシゴヒノマツリ)には金一口が奉られる神社である。
この神社の祭神については内務省編纂の特選神名牒によれば、埴安姫命と記されている。
奈艮県庁および馬見町役場備え付けの神社明細帳には以上三柱ノ神が登載されている。
この神社の沿革由緒は元禄10年9月10日の失火のため日記、古文書等消失して不明であるが、口碑によると享保7年10月に再建され、延享3年9月には修繕が行われて、後天保8年に二度目の修繕があって、明治42年に神殿を改築、昭和3年11月修繕改築等が行われて現在にいたっている。

社頭掲示板



於神社

大塚集落の西方丘陵六道山に鎮座する社を、式内於神社にあてている。創祀年代等明らかでない。
今、天照皇大神・天児屋根命・品陀別命を祀る。
大和志・広瀬郡の項に、『於神社 元慶7年(883)12月従五位下を授く、大塚村にあり、城宮と称す、已に廃す』とあり、享保21年(享保19年-1734の誤記か)大和志成立の当時(江戸中期)、すでに廃されていたと記している。
広瀬神社社記には、河合町広瀬神社末社の水分神社を式内於神社とするとある。
讃岐国苅田郡には於神社(オノ、香川県観音寺市)同鵜足郡には宇閇神社(ウヘ・香川県丸亀市、論社あり)があり式内社であるが、大和国広瀬郡の当地に讃岐・於の2社があることは、両者の間に何らかの関連を推察することができるのではないか。
現在の三柱神を奉齊するに至った経緯は明かでない

奈良県史



於神社 鍬

於は宇倍と訓べし、〇祭神詳ならず○大塚村に在す、城宮と称す、今巳に廃す、(大和志)
類社
越前國足羽郡、讃岐國刈田郡於神社(各一座)因幡國法美郡宇倍神社、

神社覈録



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