創立年代は詳らかでない。葛城川の西にあり。河岸に鳥居が有り、小さな本殿の平地の神社。 境内地全部が前方後円墳でありその後円部上に本殿を設けており古墳信仰にもとづく古代祭祀遺跡であることは明らかである。 この古墳は聖徳太子築造との伝承がある。 広瀬神社の相殿に祀る同名神社を比定する説もある。 「縁起現記」(文安元年写・1444)によれば、神社鎮座の古墳は、聖徳太子の築造で、弘安7年(1284)に当地氏人僧侶等が天河弁財天(吉野郡天川村坪内鎮座)を勧請して壇上に社殿を造立したとある。 |
祭り 内容:31日は宵宮で午後2時頃より弁財天、南、的場,萱野の四か大字から地車が町内に繰り出し、夜になって順に宮入する。まず、弁財天の地車が宮入の合図で境内入口付近から拝殿に向かって約30メートルを一気に走り、地車を拝殿すれすれに止める。奉幣後、巫女が神楽を奉納、伊勢音頭を唄う。他の三か大字も同様に行い、4台が宮入した深夜、宵宮祭が執行される。1日、朝から例祭が行われ,午後から地車が町内を練り歩く。戸立祭の呼称は1年の最後の祭りで各家が戸締りをするため、戸を立てたことに由来する。
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櫛玉比女命神社 延喜式にいう、「広瀬郡五座」のひとつで、いわゆる式内社の格を誇る。その位置は前方後円墳の後円部にあたり、埴輪片が出土する。古墳と神社が結びつく例として注目される。祭神櫛玉比売命は櫛玉比古命に配されるが、「大日本史」では、饒速日命の妃である御炊屋姫を当社祭神としている。現在の本殿は春日造檜皮葺を銅板葺きに改め、その前方に入母屋造り、浅瓦葺、正面千鳥破風付きの拝殿を設けた江戸期の建築である。 社頭掲示板 |
櫛玉比女命神社 櫛玉は久志多麻と訓べし、比女は假字也、○祭神明か也○弁財天村に在す、今弁財天と称す、(大和志、同名所図会) 神社覈録 |